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#17「あなたはいったい何のために働いていますか?」

という質問をこれまでに何度か受けたことがある。

「う~ん、なんでしょうね…」とマジメに考えることもあれば、きれいごとを言う時もあるし、適当なことを言って流す時もある。

うちの社員もグロービス経営大学院のクリティカル・シンキングを受講した時に、講師から同様の質問を受けて答えに窮したらしい。

そんなことを考える時に、アブラハム・マズローの欲求5段階説はいいフレームワークになるなと思って、こんなスライドを作ってみた。

スライド1

マズローの欲求5段階説をざっくり解説すると、欲求というのは下位層から生理的欲求、安全欲求、所属欲求、承認欲求、自己実現欲求と5つ階層になっていて、下位の欲求が満たされているほど上位の欲求が満たされている割合が多い、というもの。

時々、“下位欲求が満たされないと上位欲求が出現しない”と間違った解釈をしている人がいるらしいが、マズローさんはそんなことは言っていないらしい。

画像だけでは言葉足らずなので、頭の整理も兼ねて書いていく。

働く理由を5段階で考えてみる

まず、働くということを“経済的な報酬を得るための労働”とここでは定義したい。つまり、どこかの会社に勤めるとか、自分でビジネスをするとか、一般的な意味の“仕事”と同義だ。

①生理欲求の段階

最も下位層にある働く理由は、衣食住を確保するためだろう。

住む場所がない、食べるものがない、着るものもない。
とにかく何でもいいから仕事にありつきたい。

働く理由として、最も本質的な理由だと思うし、この理由がゼロという人はほとんどいないんじゃないかと思う。

ただし、働き続けるモチベーションとしてこれしかないのは、かなり弱い。

②安全欲求の段階

仕事にありつき、報酬や賃金を受け取れるようになると、これを維持したいというのが、この段階の欲求といっていいと思う。

つまり、自分の仕事がなくならないこと、解雇されないこと、報酬や賃金を継続的に受け取りたいという欲求。

さらには生活水準を維持するだけの報酬を得たいというのも安全欲求と言えそうだ。

③所属欲求

とにかく生きるための金が欲しければたぶん、職場での人間関係がどうとか、そこに悩む暇はない。この仕事をしなければ職を失い、明日から食べるものもない、という切羽詰まった状況に比べたら、小言を言う上司の存在など大したことではない。

しかし、①と②が満たされてくると、自分は会社の一員だと感じられる、職場のメンバーを仲間として感じられる、自分を仲間として感じてもらえるといったような、所属感を得たいと思うようになる。

ザ・人間関係の問題。
良好な人間関係を構築したいという欲求だ。

人間関係により、自分の身の置き方や振る舞い、ストレスへの対処などが重要になってくるが、①や②と比べると“仕事をする理由?”という問いに対する答えではなくなってきた。

つまり、何のために働いていますか?という問いに答えられない人は、この段階にいる人なのではないだろうか?

④承認欲求

所属している組織やチームの中で、“一目置かれたい”とか“注目してほしい”など、ただ所属しているだけではなく、その中でも存在感を示したいというのが承認欲求になる。

そのために、自らすすんで行動したり、学びにより新たな能力を身に付けようとしたり、より高度な仕事にチャレンジしたりして、自分の価値を高めようとしていくのは、承認欲求がポジティブなほうに効いていると言える。

その一方で、誰かの足を引っ張ったり、派閥を作ったり、いきすぎた自己主張をしたり、寝てないアピールや残業アピールをしたりと、承認欲求をこじらせてしまう人もいると思う。

承認欲求がポジティブなほうに働いている人は、やがて結果を出し、自己実現欲求へと向かうのだと思う。

承認欲求こじらせ型の人は、もはや何のために働いているのか見失っているように見える。こういう人を社会人生活の中で一度は見かけるんじゃないか。こういう人の存在は組織にとっての膿になってしまい、対応を誤ると組織崩壊に向けて悪循環に陥ってしまったり、会社の雰囲気を著しく悪化させてしまったりする。

⑤自己実現欲求&+α

自己実現欲求に到達している人は、なりたい自分になろうと、自ら設定した目標に向かっている。

マズローは、この欲求5段階説にもうひとつ上位の欲求を作ったことが知られている。“コミュニティ共同発展欲求”とか“自己超越欲求”と呼ばれていて、自分だけでなく、自分が所属しているコミュニティや社会全体のために何かを成し遂げたいという欲求。

成功した人たちや、原体験による強い課題意識がある人などが、営利目的ではなく、社会のために活動していたりするが、これが自己実現や自己超越ということだと解釈している。

結局は自分の頭で考えて発見するもの

衣食足りて礼節を知る、という言葉があるが、自分が満たされていないと他人の幸せなど願えない。これを説明するのにこの欲求5段階説は説得力がある。

しかし、自分がなぜ働くのか納得できる理由は、自分の頭で考えて、自分の心や環境と正対して、「これかなぁ」と発見するしかないと思う。それに、明確に何かひとつの理由があるのではなく、いくつもの理由が混ざり合って、抽象化されて出てくるもののようにも思う。

そもそも、答えを用意しておくべき問いなのかも分からない。

ただし、働く理由を、働かなければならない理由を、他人の責任にしてはいけない。例えば子どもに向かって「あんた達を食わせるためにこっちは必死になって働いてるのよ」というのは、ちょっと浅はかではないか思う。

そのためにも必要な問いなのかもしれないな。


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オオヒラリョウヤ
介護サービスの会社を経営しながら、経営学を学ぶため大学院に通っています。起業前の13年間は特養で働いていました。介護現場と経営と経営学、時々雑感を書いています。記事は無料ですがサポートは大歓迎です(^^)/