量子未来社会ビジョンの策定を振り返る① 〜どこから始まったか:きっかけとなった量子会議〜
はじめに
令和4年6月、岸田政権発足後初となる成長戦略「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」が策定されました。
この実行計画においては、人への投資、科学技術・イノベーションへの投資、スタートアップへの投資、GX及びDXへの投資の4本柱に投資を重点化するとされています。
科学技術・イノベーションへの投資のうち、重点投資分野のトップに位置づけられているのが量子技術です。
特に「量子コンピュータ」は、我々が普段使っている従来型コンピュータやスパコンを圧倒する計算性能を秘めており、材料や薬の開発における化学反応の機構解明、製造・物流プロセスの最適化、金融取引のシミュレーションなど幅広い産業分野への応用が期待されています。
令和4年度内には日本初の国産量子コンピュータの公開も迫っており、今後ますます官民の取組が活性化していくことと思われます。
また、世界的にも投資が加速しており、ボストン・コンサルティング・グループのレポートによれば、2040年以降の世界の量子コンピュータの市場規模は最大8500億ドルに上るとされています。
さて、そんな量子技術ですが、我が国では、今年(令和4年)の4月22日に「量子未来社会ビジョン」という政府の新しい戦略が打ち出されました。
冒頭の新資本主義実行計画においても、量子技術に関する政府の取組は、基本的にはビジョンに基づいて進めて行くこととなっています。
そこで、量子未来社会ビジョンについて、自分自身のための記録と将来の後任への引継ぎを兼ねて、主に公開情報を基にしながら、ここ1年の策定経緯などを振り返ってみようと思います。(なお、途中で出てくる見解は個人的意見100%です。)
まずこの記事では、ビジョンの策定のきっかけが、昨年(令和3年)4月の量子技術イノベーション会議という内閣府の有識者会議に端を発することを見ていきます。
量子未来社会ビジョン以前の国家戦略:量子技術イノベーション戦略
本題に入る前に、量子未来社会ビジョン以前の量子技術に関する国家戦略「量子技術イノベーション戦略」を簡単におさらいします。
量子技術イノベーション戦略(量子戦略)は、我が国の量子技術に関する初の国家戦略として令和2年1月に策定されました。
同戦略では、量子コンピュータ等の主要技術領域における研究開発の具体的な推進方策が定められたほか、国際連携、産業化、知財・標準化、人材育成まで非常に幅広い施策が盛り込まれています。
この戦略も踏まえる形で、内閣府の「ムーンショット型研究開発制度」における誤り耐性型汎用量子コンピュータの開発開始、文部科学省「光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)」の令和年度当初予算の約10億増など研究開発の強化が図られました。
また、令和3年2月には、国内8つ大学・研究機関から成る「量子技術イノベーション拠点」が立ち上がり、産業界においても令和3年9月に「量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)」が立ち上がり、国内の体制強化も図られました
以上のように、令和2年1月の量子戦略策定以降、令和2年度から3年度前半にかけて、政府は着実に量子戦略の実行に取り組んでいたと言えるでしょう。
ここから始まった:量子技術イノベーション会議(4/15)
上述のように、着実に進んでいるかのように見えた量子戦略。一体なぜ見直すことになったのでしょうか。
その大元は、令和3年4月15日開催の「量子技術イノベーション会議」で垣間見えます。
なお、量子技術イノベーション会議(量子会議)とは、内閣府に設置された有識者会議であり、政府の量子技術に関する政策を議論する実質的に最上位の会議体です。メンバーは以下のとおりCSTI議員も含め重厚な布陣が並んでいます。
さて、令和3年4月15日のお題は量子戦略のフォローアップでした。政府は資料1-1でこれまでの取組概要と今後の予定を説明しています。
なんだかLINEのトーク画面みたいな資料が出てきました。今後の予定も引き続きやっていきますばかりで中身がないように見える…
これを受け、資料1-2では、打って変わって冒頭から五神座長(東大教授(当時))のクレジットで、パワポ2枚に渡る意見が提出されています。
そこでは、コロナ禍によるDXの急速な進展やカーボンニュートラル実現の動き、国際競争激化による量子技術の実現時期の前倒しなど、量子戦略策定前後2, 3年の情勢の変化が述べられ、時代遅れの量子戦略は大胆な見直しを行う必要があると明確に記されています。
確かに、
令和2年1月 量子戦略策定
令和2年4月 コロナによる初の緊急事態宣言
令和2年10月 2050年カーボンニュートラルを目指す政府方針発表@菅首相所信表明演説
など、戦略策定後にかなり大きな情勢の変化があったことは事実です。
量子戦略においても、目指すべき社会像として、①生産性革命の実現、②健康・長寿社会の実現、③国及び国民の安全・安心の確保が掲げられていますが、コロナ禍における生活様式の変化やカーボンニュートラルのような環境との調和の観点はあまり含まれていません。
また、研究開発・産業化の具体的方策においても、急速に進展する海外の量子コンピュータとどう付き合っていくかについては触れられていない印象です。
大胆な見直しが必要かどうかはさておき、座長のご懸念は確かにそのとおりと思う部分も多いです。
そして、資料1-2の3ページ以降がフォローアップ本体になっていますが、その冒頭には以下の記載があります。
原文そのままで掲載していますが、誤字脱字のチェックもままならないほどバタバタしている雰囲気が臨場感を持って伝わってきます…
要するに、量子戦略策定後大きく情勢が変化しており、政府のフォローアップ案では対応できてない課題が多数あるのに、そのまま公表するのはダメ!となったわけですね。
なお、通常、政府の会議は座長の有識者と事前に内容をすり合わせて行うものですから、座長名で公式資料にこのような意見が出されるケースはあまり見たことがありません。(まあ「すごい情勢が変わった!」と思う人に対して「引き続きやっていきます!」だと、こうなるのも仕方ないかもしれません。)
こうして、令和3年4月15日の量子技術イノベーション会議で、五神座長より「量子戦略を見直すべし」という強いメッセージが出されたわけです。
その後の政府の動き
先ほどの座長ペーパーの末尾では、「量子戦略策定以降の変化分を可能な限り『統合イノベーション戦略』に記載」とされていました。
実際、量子会議から2ヶ月後の令和3年6月に策定された「統合イノベーション戦略2021」には、
と記載されております。「戦略を見直し、取組を抜本的に強化する」ではなく、語尾が「検討する」にとどまっており、この段階では、まだ本当に見直すかどうか決まってなかったものと推察します。
状況証拠として、その年の内閣府、総務省、文科省、経産省といった主な省庁の概算要求資料には、量子戦略の見直しに関する文言は一切ありませんでした。
政府の概算要求資料は例年8月末に財務省に提出されますが、中身は8月頭には概ね固まります。
4月の量子会議から約3ヶ月半。もし見直しが決まっているのであれば、各府省ともその流れに乗って予算の増額を図るでしょうから、「見直しを踏まえ要求内容を検討」と一言くらい書かれていてもいい気がします。
このことから、少なくとも8月頭時点では、政府内でも戦略の見直しをするかどうか正式に決まってなかったと見るのが妥当だと考えられます。
おわりに
今回は令和3年4月の量子会議と、その後の夏頃までの政府の動きを振り返ってみました。4月に大胆な見直しが必要との意見が出た量子戦略ですが、夏頃までは政府内でもはっきりとした方向性が出ていなかったものと思われます。
ちなみに、すでに量子未来社会ビジョンを読んだことのある人は、座長ペーパーの内容がビジョンとリンクしていることに気づいているはずです。
次回は、我が国の量子業界に取って重大な出来事となったIBM量子コンピュータの日本上陸までを振り返ります。
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