心の中に平和を築く ~やさしい平和~
ある朝のこと、雑木林の中にある短い遊歩道を、見知らぬ老夫婦が寄り添いながら歩いていた。
それをたまたま見かけた僕の心の中には、どうしようもない優しさが芽生えていた。
そこには何の言葉も要らなかった。
「幸せ」というものを初めて目の当たりにした瞬間だった。
人はきっと歳を取る為に生きるのだろう、と僕は思った。
優しいおじいちゃんとおばあちゃんになる為に生きるんだと。
僕たちはいつからそれを忘れてしまうのだろう?
いつから明日が待ち遠しくなくなるのだろうか?
子供の頃は皆、難しいことは考えずにただ一生懸命、前だけ向いて歩いている。
ただ歳を取る為だけに生きている。
輝く明日を夢見て、精一杯楽しい日々を過ごそうと努力をしながら。
そんな穢れなき子供たちは言う。
武器の代わりに友達を作れば良いと。
何の迷いもなく、一点の曇りもなく、そんな正論を言ってみせる。
純朴さは反論しようもない正解を導く。
平和というものは、思っているほど難しいことではないのかもしれない。
ただ人を思いやる気持ちがあれば良いのだから。
平和は目指すものでも誰かが誰かに与えるものでもない。
恋人同士の幸せだって、どちらかがどちらかに与えるものではなく、二人で築き上げていくものだ。
だから、自然の流れに身を任せ、万物を愛し歳を取る為だけに生きていけば、自然と平和な世の中になるはずなんだ。
これは理想論ですか?
でも実現できないことはないはず。
「人が想像できることは必ず人が実現できる」
という言葉を僕は信じたい。
もうエゴや偏見は全て捨てて欲しい。
精一杯、相手と同じ目線でコミュニケーションを取って欲しい。
子供と話す時のように、しゃがみ込んででも同じ目線で相手を分かろうとして欲しい。
それだけで良い。
それだけできっと世界は良くなる。
遅過ぎることなんてない。
いつだって僕たちはやり直せる。
側溝に落ちた花の種もいつかは力強く芽吹くように、僕たち人間もまた華々しく咲くことができる。
人はいつからだっていつまでだって輝くことができる。
不幸にしてしまった人たちの分まで他の誰かを幸せにしようと努力をして前向きに生きていけば、きっと明るい未来が待っている。
そしたらすぐにでもこの世界は平和に包まれるだろう。
限りない平和に包まれるだろう。
そして浮かぶ太陽はいつもより優しく僕たちを照らしてくれるだろう。
そしてそんな太陽が輝き続ける限り、僕たちはいつだって心の中に平和を築くことができる。
平和を夢見ることができる。
もしかしたらそれが平和の意味なのかもしれない。
もしかしたらそれが、「平和」という問いに対する答えなのかもしれない。