湯西川温泉の旅へ。(続編1)
しばし、頭を休めてから再開しようと思ったが、記憶や印象が薄れていくのが勿体無いので、また書き始めることに。
旅の二日目の平家の里や、水の郷、またフリー切符によって得たバスの利便性、或いは、PCを持ち込んだ資料作成等を飛ばしてしまうが、最終日、3日目のことを。
それは最終日の朝食バイキングから始まる話で、前日温泉街の会話やしばし共に行動した印象から、自身、水先案内人と心で名付けていた一人旅の男性の方を会場で見かけたので、珍しくこちらから話しかけて(少し、人とも触れ合いたかったのだろう)同席させてもらった。
少し世間話的に旅の話をしていたら、ふと、その方が、ご自分の持病もそうだが、ご自身の職業について話を切り出し始めた。(唐突という感じではないが、それとなく)
ご自身で、とても変わった、か、珍しい仕事とおっしゃっていたその方の職業は大学職員だった。
始めはそうなのか程度の関心ではあったが、少しよく考えてみると、数年前までは、かなりしばらくの間、転職活動として熱心に大学職員の求人に応募していた時期が自分にはあり、積極的に聞き始めた訳ではないが、しばらく、その仕事内容などを、その方が話始めた。
要約的なポイントのような感想になってしまうが、自分の認識では大学職員とは準公務員的な比較的ルーティンワークなものを思っていたが、頻繁にジョブローテーションがあり、その担当していた様々な部署においても高度なスキルが求められる仕事のようだ。スクールカウンセラー関係の資格も取得されているし、大学の施設回りのこと、例えば水道の配管システムのような分野や、建築的な分野、またそれが可能ということも知って驚いたが、学校法人に所属しながら、株式会社を設立されたりもされていて、その方の三十数年間の職歴は、自分が知り合った人の中で、これ程までに多岐に渡る経歴の方を知らないという位の人であって、朝からかなり驚いてしまった。
とりあえず、何でもやりました、と淡々と語っていた。だが、前日もお会いした時に話されていたが苦労や困難、大変なことの連続だったらしい。自分は新卒時、大手の一般企業に勤めてしばらくの積み重ねた経験、苦労、困難は確かにあった。だが時間の長さの話ではなく(積み重ねた時間も、そもそも、その方の方が圧倒的に長い)その困難や苦労で身につけてきた、ある種多彩でオールジャンルな職能に心を動かされてしまった。
とりあえず、今日はこういう旅のプランにしようと思う話をこちらからしたら、じゃあ、もしよければ、車で来ているし、特に今日は予定もないので、一緒に回りましょうかという話に。
それは簡単にその方向になった訳ではない。自分の早朝のプランでは少し心許ない観光ガイドだけを頼りに、山奥の自然交流センターまでのトレッキングや、また、温泉街からは徒歩で行くしかないだろう山道の行程を余り知識のない観音堂と秘湯という認識の2箇所だけを奥湯西川地区まで行くという、しかも早朝から土砂降りの中、傘を差しながらという少し無謀とも今では思えるプランを構想していた。
そのこだわりが、自分が試してみたいことが、確かにあったので、そのことを正直に話したら、それならば、それでもいいし、どちらでもいいという。少し逡巡の時間の後、プランを改めて、やはり、その方の好意に甘える形になってしまうが、1日の行動を(やっと)共にする決意をした。
連絡先などを交換したいとおっしゃっていたので、交換した。考えてみれば、昨日今日あった人を、自分の車に載せるのは確かに不安があるし、ということもあったのだろう。
ロビーで待ち合わせる約束をし、朝食後、部屋に戻り身支度をして出発した。
車内で、少し話をして、また大学職員の話になってしまうが、先に聞いていたように生活の安定という意味ではかなり保証されている職であるようで、以前は車も2台所有されていたとおっしゃっていたが、今は最近買った国産の軽自動車を乗っていらして、役職定年ということで、自由になるお金も減ってしまった話をされていた。部長職までされていた方なので、厚遇だとは思ったが、そればかりが続かないのが現実のようだった。
そこから、自分の当初の目的地までドライブして回ったのだが、またこの文章の体で行くとなかなか話が尽きないので、また、続きを改めて書こうと思う。