東山魁夷展を観て。

昨日、予てからの念願であった、「東山魁夷展」へ行ってきた。ことの発端を話すと、また長くなってしまうが、一番最初に存在を認識したのは、中学生くらいの頃、母親の実家で祖母などが利用していた二階の居間かトイレに飾ってあったカレンダーでの魁夷の絵だと思う。かすかな記憶を辿れば、青ともいえない、また、緑ともいえない風合いの色調を持った樹々の絵が印象的だったように思う。その絵は、おそらく一回だけ観たのではなく、何度か観た気がする。もし、一回だけだったとしても、そのインパクトがかなり強かったのだろう、今、こう書いていてもそのカレンダーの絵が、頭に強く残っている。

その、魁夷の体験から、しばらくは、というか、最近までは、特別に個展など観に行ったこともない。なぜ、今回になったかというと、夏に上野の美術館に出かけた際、寄った「愛玉子」(オーギョーチー)という喫茶店(台湾のお菓子、甘味処のお店)で店主に「ここは、東山魁夷先生も来ていたのよ」と教えて頂いた布石がある。大家という魁夷の存在は知っていたが、まさにその画家の座ったことのあるらしい古い調度品の椅子に腰掛けて、昔、少し興味があったことが、また心の中に沸々と湧いてきた。確かに、本物の絵も観たことがないし、よくその作風も知っていない。その思いが、ネットで見たのだろうか、展覧会の開催予定を知り、ふと今回の魁夷展に必ず行こうと決意することになったのだ。

魁夷展は、よく行き慣れた国立新美術館で開催中。乃木坂駅直結の利便性もあり、昨日は国立西洋美術館のルーベンス展とどちらかも迷ったところもあるが、少し部屋で身支度をゆっくりしながら、魁夷展に行くことに決めた。

また長くなりそうなので、館内での絵画群のことについて、いくつかの感想や思ったことを、なるべく要領よく。

最初のブースの「残照」。これは魁夷の代表的作品らしいが、自分は知らなかった。絵画は稜線が幾重にも重なった奥の山々に陽が当たり、少し明るい色味を帯びているという作品。今、展示された全作品を振り返ってみると、この作品の構図はとても遠く深いもので、眺望というか、遠景という感じで、意外と魁夷の中では少ないスケールを持った作品だと感じた。とにかく、幾重の稜線が、最初にパッと観た時には気付かない程、繊細に描かれており、一番奥の本当にかすかな稜線に(2回目観た時に)気付いた時に、この作品の深みを、完成度の高さを思い知ったように思う。

あとは、個々の作品名はあまり上げないが、(唐招提寺の御影堂障壁画については最後に)気付いたことを。(ここからは、短いですが個人的な感想になります。有料ですが、よろしかったら読んでみて頂けると幸いです。)

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