暁月がフィナーレしたもの。
長らく。ファイナルファンタジーは負けてきた。クオリティを追求すると制作期間が伸びる。ストーリーを重視するあまりシステムにバグがでた。総じてファイナルファンタジーというブランドは失墜した。巨額の投資を掛けられ制作されたゲームの巨人、ファイナルファンタジーは、ゲーマー達の高い期待に答えられるだけのポテンシャルはもはやないと言われたのである。それが、ファイナルファンタジーはいつからつまらなくなったのか?という言葉に集約されている。
ファイナルファンタジーという幻想を作るにあたり、テクノロジーの発展を抜きに語ることは出来ないだろう。それは画質向上というわかりやすいメリットだけでなく、ストーリーのボリューム、添えられた楽曲の壮大さ、ボイスアクター達の素晴らしい演技。そして、生身の人間によるリアルな動き等を下支えした。それらのテクノロジーが物語に厚みを与えれば与えるほど、ファイナルファンタジーは頭でっかちになった。それはコンセプトが壮大になるにつれて頭をもたげることとなってゆく。それはあたかもマスメディア向けのコンシューマーゲームという制約を真っ向から否定しうるあり方であった。そして、ファイナルファンタジー、文字通り最後のゲームの巨人と成り果てたのである。
FF15がもたらした悲劇。それはファイナルファンタジーが根本から抱える悩みを露呈した。それをリアルにそのまま打ち出したかのようなFF15は、お世辞にも面白いゲームではない。しかし、誤解を恐れずに言えばわたしは好きな作品だった。あの作品が持つ独特の世界観に触れたのは私にとって驚きをもたらした。ただ、世間の評価を著しく下げた要因はそのストーリーにある。それは発売スケジュールを伸ばしに伸ばした結果、あらゆるストーリーは完結せず、最後の選択として切り売りという形を取った。誰の目にもあれは苦渋の決断だったのだと思う。わたしはそれをわかった上であの作品に期待し、途中で離脱することなくクリアすることができた。そして蓋を開ければ200時間を超えるプレイタイムを記録したのである。世間はストーリーを酷評した。わたしもあれはどうなのか?と言われれば素直に良くなかったと言うだろう。だが、あの作品を通じて感じた喜び、怒り、悲しみ、それらの先のどうしようもない現実感はわたしはあれをプレイしたことを後悔させるほどではなかった。ファイナルファンタジーはつまらなくなった。その通りだ。だが、確かにFF15で再び甦ろうとした。そのチャレンジはあったとわたしは断言できる。
前置きが長くなってしまった。ファイナルファンタジーはつまらなくなった。それは事実だ。先程も述べた通り期待に応えるものではなかった。続くFF16ももしかすると応えてくれないのかもしれない。それでもわたしはファイナルファンタジーというブランドが持つ底力をどこか信じたい気持ちを持っている。だからこそ、FF15が埋められなかった期待値を過去作に求めたのだ。それが、FF11を除く唯一の未プレイタイトルの、ファイナルファンタジー14であったのである。
長くなりそうなので結論から言おうと思う。ファイナルファンタジー14はファイナルファンタジーとして持つ底力を見せつけた。ファイナルファンタジーはまだやれる。ファイナルファンタジーはまだ面白くなれる。そんな期待を一手に背負ったファイナルファンタジー14は過去最高のファイナルファンタジーとなった。それは最初から約束されていたわけでは決してない。改良に改良を重ねて、小さな期待を1つずつ拾い上げた結晶(クリスタル)による集大成である。
ファイナルファンタジーは元来、過去作を否定して生まれ変わってきた。常に最新のファイナルファンタジーであることを自らに課してきた。だが、ファイナルファンタジー14は違う。全く違う。過去の作品を全て網羅している。ひとつも否定していない。過去の作品のいい所をすべて肯定した。そればかりか、それらを更に現代風にアレンジして見せた。それは過去作のリメイクに甘んじているファイナルファンタジー7リメイクすら超えているかもしれない。なにせ、8年以上も腰を据えてじっくりと取り組んできたプロジェクトだ。それはどんなプロジェクトかと言えば、それはズバリ、ファイナルファンタジーの再構築であった。
結論を言うと言いながら言えてなくて申し訳ない。つまり、ファイナルファンタジー14の最新パッケージである「暁月のフィナーレ」が描ききったのは、私たちの夢のファイナルファンタジーそのものだ。過去の記憶を上手く調理しつつ、現代のテクノロジーを取り入れ、すべてのバランス調整を整えた、最高品質のファイナルファンタジーなのである。しかも、それはオンラインゲームである。それは、終わらない旅を意味する。同時に進化も終わらない。常にアップデートを繰り返すことで他の誰も到達し得なかった高みを見せてくれた。その一連の奇跡のような旅のフィナーレ。それこそ、暁月のフィナーレが描ききったラストランである。
旅はこれからも続く。ファイナルファンタジーは名実ともにファイナルなファイナルファンタジーとなったと言っていい。ここに全て集まってくる。そしてここがいつもラストに掲げられるすべてのファイナルファンタジーの終着点だ。だからこそ、その役割としての一区切りを銘打った「暁月のフィナーレ」にはプレイヤーとクリエイター双方の万感の思いに満ち満ちている。それは他のどんなファイナルファンタジーでもなし得なかった世界だ。幸福が幸福を生み出す無限のファイナルファンタジーがここに誕生したのである。
ファイナルファンタジーはどこへ行くのだろう。そんなことをずっと考えていた。高クオリティを追求していくのだとわたしは思っていた。しかし、それは最早必要のない要素となった。私たちが生きていて、そこにファイナルファンタジー14という世界があればいいのだ。他に何が必要なのか?それはプレイするための様々な制約を解除ないし緩和することに集約される。逆を言えばそこにしかないのである。つまり、ファイナルファンタジーはファイナルファンタジーになったのだ。
わたしはこの奇跡をどう表現していいのかわからないでいる。この事実は果たして偶然の産物なのか、または必然なのか。それすら今の私には判断できない。少なくとも分かっていることは、ファイナルファンタジー14はファイナルファンタジーになったということだ。それを受け入れてくれる人がいる限り、ファイナルファンタジーは生き続けるということだ。こんなにも嬉しいことがあるだろうか。最後にファイナルファンタジーはいつからつまらなくなったのか?そんな言葉に応えたい。その質問自体が間違っている。ファイナルファンタジーはつまらなくなったのではない。ファイナルファンタジー14から面白くなったのである。
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