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わたしとSNS。

私がSNSに求めるものは、
主に新しい情報との偶発的な出会いによる
笑い、怒り、気づき、あと驚き。
ハッとしてクスクス笑って。
ムカッとして、へーっと思って。そうなんだ!って腹落ちる。

SNSは指先だけでそれらの情報と出会い頭に衝突できるっていうんだからこれはやめられない。
つまり求めるものが何なのか?
ハッキリと自分自身でも掴みきれなくて。
モヤモヤしてるとき、そんな自分を見透かしたかのように意外な角度からニョキっと現れる真実、みたいなもの。明らかに自分自身の中には存在しなかった答え。その呼び水となる情報。エトセトラ。ある意味で自己啓発的だし、ある意味で息抜きでもある。

なにか、調べ物をしたいわけじゃない。むしろ、知りたくないことの方が多い。何せ、これだけ情報が溢れているのだ。そこから正しい情報を選び取ることの煩わしさ。真実を知るつもりが、枝葉のように分かれた様々な考え方に打ちのめされ、知らなきゃ良かった……と後悔する始末。知りたいことを調べることが、いつのまにこんなにも苦痛になったのか。

わたしだけですか?知りたいことは単純で、欲しいものがいくらで買えるのか?いつ販売するのか?どこで買えるのか?とか。イベントがいつどこで行われるのか?とか。その程度だったりする。社会が今どんな状況にあって、これからどんな風に変わっていくのか?そんな予言めいたメッセージが好きでSNSを開くことも多い私だけれど、そこから見えてくる見通しなんてものはなく、あるのは個人個人が好き勝手に発信する個人の意見(わたしのnoteもそうですが)だけであり、その1つ1つを吟味するような時間などない。

少し前の関ジャムで、プロが選んだアルバム特集みたいな番組を見た時、ハッとした。まさにこれだと思った。つまり、誰かプロの人にこの先の進むべき道、選ぶべき商品、歩むべき未来を指南してほしいという欲求。裏を返せば、自信がなく、足元も覚束無い私たちが唯一すがることの出来るモノ。新情報。新しいテクノロジー。歴史学者が推察する未来。株の神様が教えてくれる資産運用のセオリィ。それらに共通するのは、圧倒的な不安。見通しの悪さから来る焦燥感。それを払拭するためになりふり構わず権威に頼る大人たち。あ、私もその1人です。てへ。

もしもこれが海外なら、伝統文化や宗教にすがるのかもしれない。それは変わらない。だから心が落ち着く。落ち着くと言えば、景色もそうだ。山々。川の流れ。青空。涼しい風。それらは不安に満ちたわたしたちを優しく包み込んでくれる。だが都会に住むわたしたちはそれを感じることが少ない。いやほぼ無い?私もそう思った。だが、今朝ひとつ気づいたことがある。私は、マンションに住んでいる。地上5階だ。そこから眺める北側の景色。ビルだ。雑居ビル。そして、ほかのマンション。その先にあるもの。遠くに見える山々。そして青空が見えた。遠くに思いを馳せる。その事が私を不安から救ってくれた。そして、秋の涼しい風もそれを助長したのだ。とても。とても。心地の良い時間だった。明日も。朝覗いてみよう。北の空を覗いてみよう。遠くの景色を眺めつつ私はここにいてもいいのだと感じるのだ。それが今の幸せに繋がる。そう信じて。

結論。SNSは私の中には存在しない情報にアクセスする楽しみを受け取れる場所。ここにいながら、遠く離れた誰かと繋がれる。そのことは素晴らしい。わたしのようなリアルで心を通わせる人が少ない人にとっては社交場として機能する。だが一方で。わたしから連続して繋がるその場所は、外部記憶装置としての機能はあっても、未知なる世界への扉には本質的にはならない。身となる世界への扉はいつだって偶然と必然の螺旋階段によって生み出される。それがわたしにとっては山々の景色。澄み渡る青空。そして服の間をすりぬける秋風だった。その方がいい。

わたしはSNSを手放すつもりはない。もう私の体の一部になっているからだ。しかし、そこに身を委ねすぎるのも間違っている。オンラインゲームもそうだろう。付かず離れず。引退もせず。わたしは景色を眺めるように、この世の中も高いところから見下ろせたらそんな楽しいことは無いのではないかと思う。SNSはその小型版。小さなジオラマだ。

MUSICAでした...♪*゚

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