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かわいい人。

「せっかくあなたのために作ったのに。」
そんなことを言われたら?誰もが可愛い〜と思わずその人を抱きしめたくなるだろう。
わたしはなる。おや、あなたは違うのか?

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犬がすきなわたし。その理由は簡単だ。犬は自分の気持ちに正直である。楽しい!悲しい!嬉しい!お腹減った!遊ぼう!そんな気持ちをストレートに、ダイレクトに伝えてくる。そこにいじらしさ、可愛らしさが宿る。人間ではどうだろう。姿や髪、服装がいくら可愛かったところで、なにも伝えてこない人だったら?つまり、どこへ行きたいか、何をしたいか。何を食べたいか。嬉しいのか、悲しいのか、楽しいのか。そう言った感情を伝えてこない人なら、わたしはその人を「可愛い」とは思わない。例えそれがどんなに好みのタイプの顔をしていたとしてもである。もちろん、その人の見た目は大事だ。清潔感があって、可愛らしくて、若々しくて。そんなふうに見える人がいいに決まっている。ところが、もっともその人を魅力的にする瞬間は、他にある。それこそが、自分が何をして欲しくて、どう見られたいのかという自己アピールだ。そして、その求めに応えてあげたとき。一体どんなリアクションで、喜び(または照れ)を表現してくれるのか?ここにこそ、その人を「可愛い」と表現する最も大きな理由が潜んでいる。それを体験出来た時、その人は「可愛い」の第1候補になれるのである。

おほん。何が言いたいのか?と思っているだろう。いや、実際、私も何を言っているのかと自分で思う。これまで何度も「可愛い」や「すき」への憧れを何度も説明してきた。わたしは「可愛く」なりたいのだ。そして、「すき」が持つ無限のパワーを私の体の中に吸収したいと思っている。それは端的に言えば、「可愛い」と「すき」のラーニングであり、究極的にはマスターである。それをするには直に体験するしかない。なるべく近くで。繰り返しそれを体験することで自分のものにできると思っている。そういう意味では「習うより慣れろ」なのだ。

つまり?つまりそういうことである。わたしの可愛いとすきを求めるスタンスは、やはり私の予想を超えて大きな渦を呼び寄せるようだ。ある意味で当然だ。わたしが惜しみなく(惜しむつもりは無いのだ)、可愛いとすきを注ぎ込むと、花は大きく育ち花開く。それは当然の結果であり、大きくなったその可愛いとすきのパワーは私に帰ってくる。それはわたしの求めていたパワーそのものだ。ただし、それを受け入れるだけのこちらの構えが必要になるのだが。その準備をせずに受け取れるほど小さくはない。それほど巨大なパワーに膨れ上がっている。

だがわたしは同じ轍は踏まないつもりだ。わたしはあの頃と同じルートを辿っている。けれど、前の私と同じ失敗をするとは決まっていない。今度こそ、わたしは自分を見失うことなく、理想を手に入れる。それこそが、わたしがいまやるべきバランスの取り方であると信じている。今度こそ、今度こそうまくやりたい。せっかくのチャンス。もう二度と失いたくはないのだ。これを逃したらまた数年単位で時間を無為にしてしまうだろう。わたしはそうしたくない。わたしの魂の半身を今度こそ理想的な形で手に入れたい。わがままだろうか? 

わたしはずるいのかもしれない。小狡いのかもしれない。それでもなお、わたしに、言わせて貰えるなら、「楽しければそれでいいじゃない」という考え方かもしれない。安易かもしれない。だが、その考え方は、ある意味で今を強烈に肯定している。ゆるゆると今を楽しむという余裕がある。わたしはその人からゆるゆるを学んだのだ。ゆるゆるisジャスティス。私の中にない考え方ではある。しかし、それもまた私という個性のゆらぎをもたらす可能性を秘めている。わたしはその人に賭けたい。その人とどんな関係を紡げるのかを。まだ時間はたっぷりある。ゆっくりと深めていこう。私たちの時間は始まったばかりなのだから。

MUSICAでした...♪*゚

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