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noteは、出会いだ。パート2

常々思う。noteは出会いだ。
noteの何と私は出会うのか。
noteに綴られた個人の体験そして意見。
わたしというキャラクターを無視できる。
あなたというキャラクターを直接触れられる。

あなたが今何を感じて
あなたが今何に怒っていて
あなたが今何に傷ついていて。
たなたが今何に不安を感じるのか。

わたしはそれらに出会っている。

家にいながらにして
他人の意見を聞けるこんな絶好の機会、
逃してなるものか。

常々思う。わたしは損をしているのだ、と。
自分のことばかり気にしすぎて周りが見えていない。
いつも自分一人で行動し、その結果盛大に転ぶ。
誰かと歩調を合わせていれば気づいてもらえたかもしれないその小石を、わたしは全く気づかずに
すってんころりん。すっとんとん。
てな調子である。ま、そりゃ、わたしも
一旦停止不足で免許停止になりますよ、実際。
免許更新ハガキが届かなかったせいで、免許取り直しになったわたしです。他人のせいにしたくはないけれど、引越しが続くとそういう落とし穴もあるのかー。いやいや、引越ししたら転入届だすやん?それで終わりと思ったやん。免許証の住所治さないと、自宅に免許更新ハガキが届かないんだなーこれが。それでうっかり免許更新を忘れると?誕生日の翌月まではセーフ。おめでとう問題なし。しかーぁし!誕生日から半年過ぎてしまうと?ぶっぶ〜。お惜しかったねえ、半年未満ならなんとかなったのに。一日でも過ぎるとアウト。仮免許から再スタートよろしく。わたしはそれで中型免許を失った。いま?まだ三年経ってない初心者マークデス!え?本当は何年だって?うーん。20年は行ってるな……あはは。まあそんなバカもいるって話です。

話が脱線したね、ごめん。
noteは出会いだという話、前にもしたね。だからパート2ってことにした。特にさ、わたしはコラムが好きなの。コラムって別になのある偉い人だけのものじゃない。やれ村上春樹さんだ、堀江貴文さんだ、そんな著名人のコラムじゃないと面白くない?ぜーんぜんそんなことありません。noteのコロムタブをご覧なさい。いい文書がゴロゴロあるから。ここを読み続けるのがわたしの最近の楽しみなのだ。

さて、今晩はどうしようって思ったわけです。それでいつものようにコラムタブをすすすいーっと見てたわたし。みんなどんなこと書いてるのかなー。フムフム。ははァ。なるほど。分かりました。今晩のテーマが決まりましたよ!ズバリ。死について。

死を考えるとき、生きている人が目の前で死んでいく様子を見ることは少ない。他者の死を認識するのは決まって事実として揺るぎない過去だ。死んでしまったという状態を指している。わたしは誰か家族が今にも死んでしまうという場面に幸運にも遭遇していない。祖父や祖母、そして昔家で飼っていた犬でさえ、夜寝るまでは生きていて、朝起きたら死んでいたという事実を告げられたのである。もしもわたしが両親と今も暮らしており、人が老いていく様を間近で見ることがあったとすれば、私の死生観もずいぶんと老成させられたに違いない。それは誰もが通る当然の道。今ここにこうして文章を書き連ねているわたしでもいつか死ぬ。それが今日でなかったことは幸せだ。このまま上手く行けば明日も生きることができる見込みだ。今日があって明日がある。明日があれば明後日もある。明後日に予定があるので今週は大丈夫だろう。あ、週の半ばで月が変わる。そうなれば来月も、何とか生きられるに違いない。人生はそうやって、地続きになっていると思いがちだ。今があるなら明日もある。明日があるなら明後日だってあるはずだ。体感できるのはいつだって今日なのに。しかし今の職場でそれを感じようとすると割と難しかったりする。予定はコロコロと変化するし、予定になかった追加の予定がいくつも重なることすらある。午前中は時間があると思いきや次から次へと予定が入ってしまい、午後まで事務作業を延々と続けなくてはならない事もままある。予定通り進めたい!わたしとしては、ぐぬぬとなる事はよくある。それがストレスかと言われれば確かにその通りだ。わたしは予定外に対応することもやぶさかでは無いがそれはやはり何か別のものを差し出さなくてはならなくなることを意味する。大抵それは時間でありタスクフローにおける摩擦の増大だ。そこから零れるミスを誘発しやすくなったりする。厄介だ。時間というものは。例えば16時から約束があるとしよう。会社から出発して到着予定時刻を16時とするならば、15時には外出しないといけない。まあ少し余裕を持たせて14時45分というところだ。やはり何だかんだ渋滞にハマったりすることはしょっちゅうなのでここはひとつ安全牌を取りたい。ところが実際には45分を超え、55分、15時となってしまった。そこから焦るように支度した私は勢いよく車を走らせた。もちろん法定速度内☆

以前にここでも言ったかもしれないけど、わたしは昨年、度重なる一時停止不足の違反きっぷにより、免許停止処分をキメている。自分で言って去年なんだーと思った。もっと前の年かなと思ったらまだ2019年の話でしたー。てへ。まぁ人身事故を起こして相手に怪我させてしまうような自体にはなっていないことが不幸中の幸いである。ところが!今日の夕方、またしてもわたしはやってしまう。一時停止不足で2点を加算され、7000円という罰金まで支払いを命じられた。私は去年の記憶が蘇り、またかという気持ちが拭えなかった。そして、もっと言えば、信号のない細い交差点の一時停止標識が見えなかったのか?と警察官に咎められたわたしは、見えませんでした!と言うしか無かった。なんせ、そのパトカーは、草葉の陰に隠れて待機しており、その信号のない交差点を草葉の陰から見張っていたのである。それをわたしは大胆にも一時停止不足の状態で右折して、あえなく、パトカーさんとご対面ということになった。あーあ。私はつくづく成長しない。信号のない交差点ではわたしは大抵の場合、右左から来るクルマを意識して停車する。だが、わたしは急いでいた。そして、交差点に差し掛かった時、左右から来る車は1台も無かったのである。1台も!まあ、路地だからね。そして、ラッキーと思ったわたしはそのまま右折。そして、草葉の陰に潜んだパトカーさんにご対面。かなりうるさくサイレン鳴らして拡声器で話しかけるもんですから、何事?!と思った私です。え?私ですか?え?何かやりましたか?わたし?……はい。2点。7000円です。どーん。アチャー。潜んでおられたのですか?国家公務員の方ともあろう方が?!ご苦労様です。たしかに?私が今日を無事に生きられたとして?そんな危ない運転をするようでは?事故に遭って怪我したり命を落とすかもしれない。他人にも重大な怪我をさせたりしてたかもしれない。それを思えばまた今日、新たな気持ちで気を引き締めて。今日生きられたなら、明日も生きられるだろう。だが、今日一時停止不足で切符切られたら、またあしたも切られるかもしれない、という恐怖心で明日以降も過ごさないといけなくなる。それはかなりの心の負担であり、それなりのストレスでもある。それを背負って生きていく事を科せられたわたし。死について考えざるを得ないのである。笑い事とは思っていない。直せよ、と言われればそうだ。だから、わたしはもう一度チャートに戻って考える。信号のない交差点を走る時、左右の自動車が居ない時でも止まらなくてはならない。もしくは、信号のない交差点は走ってはいけないのだ。……、これって、田舎特有だったりする?警察官が草葉の陰に隠れて交通違反者を取り締まるってやつ。草葉の陰、草葉の陰って、別にそういう意味じゃないんだけれど。

はァ。明日からどうやって生きていこう。

とりあえず、今日のわたしはもう寝ることにします。それで一日の死を迎えるのでした。

暗くないからね!?
ショックだけど。
当たり前だけど、
銀行は15時、郵便局でも16時までしか
違反金を受付てもらえません。払えないよう。

MUSICAでした...♪*゚

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