見出し画像

YOASOBIに見る若さ

    若さとは時限付きの加速度装置である。若さを羨む人がいるがそれは間違いだ。若さを保ちたい人もそれは間違いである。なぜなら若さとは時限付きの魅力だ。鮮度だ。採れたての魚が鮮度がいいからと言って持て囃されることと同じである。それを魅力的だと断ずるのは他人であり、当の魚本人ではないのだ。

   若いことはそれだけで価値があると感じるのは、若さを経験してきたからだ。それがもう手に入らないと分かっているからだ。手に入らないものをもう一度と願うところに魅力が発生する。手に入らないから欲しくなるのだ。欲しいと思うことは自由だ。しかし、「ありもしない魅力がそこにあると思い込みそれを本人または他人にその価値を押し付けること」は不誠実である。

   若い時に持て囃されることは悪いことではないとする人がいる。それはその人が存在することがすでに素晴らしいことなのだ、と。それは偶像崇拝ではないかと私は思う。つまり本人を見ているようで、本人を見ていない状態だ。何を見ているのか?それこそが、「若さ」である。若さは保たれない。いまだけ、時限付きだ。それなのに、その人の「若さ」だけを持て囃すのは、その人の本質を褒めていない。褒めているのは「若さ」であり、その人の努力も、賢さも、時代をつかまえるキャッチーさも「若さ」という要素と掛け合わされた評価基準なのである。

   何が言いたいのか?具体例を言おう。昨日、NHKの番組を見た。見たというか、目に入っただけだが。ここで私のテレビとの付き合い方を言うと、わたしはひとつの番組をじっと見つ続けることはほぼない。よほど好きなドラマかアニメなら真剣に見るがそれはNetflixのような見方に近い。今放送中のテレビを見る時は、わたしは同時に複数の番組を見る。具体的には3つ見る。同時に見る。どうやっているのかと言えばテレビを3つ同時につけるのだ。どうやって見るのかって?わたしのリビングにはテレビが3つあるのだ。それを同時に付けている。音は出さない。無音だ。字幕をつけていることもあるがそのほとんどが映像のみである。それでもだいたい理解出来るのだからそれでいいというスタンスだ。まぁ、私の場合はその状態でさらにTwitterやTikTokを見ていたりするのでさらに見るべき画面は多いのだが。

   話が逸れてしまった。本題に戻す。NHKの番組でYOASOBIの2人が出ていた。どうやら、YOASOBIの魅力を解説する番組(もしくはコーナー?)であった。なぜ曖昧なのかはさっき言った通りで目に入った(音は聞いていない)からである。そのYOASOBIの魅力として語られている(みたいに見えた)のは、「音楽の基本から外れた独自の音楽センス」「ボーカルのikuraさんの歌声」「小説作品との歌詞世界のリンク」などであった。ここにモヤモヤした。

   ハッキリ言おう。わたしはYOASOBIが好きだ。魅力的だと思っている。しかし同時に心配している。もしかするとYOASOBIが持て囃されるのは「若いから」ではないかという疑問だ。

   NHK以外でも「夜に駆ける」を解説している番組を見た。例えば「関ジャム」である。わたしはあの手の番組が好きでよく見ている。どこが凄いのか?の可視化が出来ているという意味ではない。それをどう「すごい」と見ている人がいて、どの部分に共感されるのか?という意味である。それでいくと、YOASOBIはirukaさんの歌声に素晴らしさがあり、その声に合う楽曲や歌詞を提供出来ている「感性」に集約される。まさにその通りだ。あれを作れと言われても作れない。そこに「価値」がある。しかし、こう思ったのだ。彼らが20年後にまだ音楽活動をしていられるだろうか、と。それこそ、彼らの「若さ」に価値が紐づいているのであって、若くなくなった途端にそれまであるとされた「価値」が跡形もなく消えてしまうのではないかという懸念である。

   つまり、彼らYOASOBIを解説するとき、若いのにすごいという部分ばかりクローズアップするのは彼らにとって不遇である。なぜなら若さは時限付きの価値だからだ。そこばかり見ていてはいつかは消えてなくなってしまう。それはYOASOBIのせいではない。ましてや努力が足らないわけでもない。なぜなら「若さ」を保つことは誰にもできないからである。YOASOBIだけではなく、全ての人がそうなのである。

   「若さ」の魅力とは、発信者が若い年齢であるという条件だが、実はそれだけではない。それを魅力的だと判断する側の若さもあるのである。つまり、YOASOBIを持て囃すのはYOASOBIと同じ世代であり、お互いに「若い」からである。もちろん上の世代が持て囃すこともあるが。でも大半の支持者は若い世代である。だが、ここに問題が生じる。YOASOBIが若くあればあるほど、ファンであるこちら側が若くいられなくなる。つまり、YOASOBIは永遠に若い存在でい続けなければならなくなる。そんなことは可能か?否である。もしくはYOASOBIが年相応の楽曲を作れるように進化するしかなくなる。だが待って欲しい。彼らの魅力は「若さ」ではなかったか。年相応の曲を作るとは「若さ」にクローズアップされたセンスであって、年相応=大人の楽曲を作るセンス、ではないのである。そこにファンの期待とYOASOBI側のミスマッチが潜んでいる。わたしはそこを危惧している。だから時限付きだと言うのだ。

  例えばきゃりーぱみゅぱみゅを思い出して欲しい。わたしは彼女が好きだ。今も尊敬している。しかしあのころの曲を今の彼女が歌って魅力的かと言われればそれは悩んでしまう。あのころの、10代の弾ける「若さ」こそ、彼女であった。つまり、「若さ」こそ魅力であったのである。YOASOBIと単純に比較することはできない。わかっている。だが、「若さ」だけで何年も活躍できないことを彼らは知っていてほしい。そう思うと、NHKの番組のような「若い」を強調したような紹介にどうしてもモヤモヤしてしまうのだ。それは遠い未来、彼らを潰してしまう恐れがあるからだ。

   1度得たファンの期待は「若さ」にあるのではないか?そうならばそうでない魅力を伸ばす必要がある。それは今をときめくアーティストであればあるほどに険しい。それはいまの自分を否定するかもしれないからだ。しかも常に世間の人の目に晒されながら。それは過酷である。充電期間を経たぐらいでなんとかなるような壁ではない。人間丸ごと変わるくらいの大変革である。にも関わらず、世間から求められるのは、変わらぬ「若さ」だったりする。そこにやりたいことと求められることのギャップが存在する。そのギャップをYOASOBIは越えられるだろうか。もしYOASOBIをクローズアップするのであればその部分こそクローズアップしてほしい。わたしは彼らが好きだ。だからこそそう思う。でも越えられなくてもいいのだ。彼らは確実に日本の音楽に傷跡を起こした。それだけでも十分に価値のあることなのだ。しかしそれは時限付きである。若さを永久に維持することは誰にもできない。それはYOASOBIも出来はしないのである。だから「若さ」を魅力としてはいけない。時限付きの付加価値なのである。

MUSICAでした...♪*゚

©SQUARE ENIX CO., LTD.All Rights Reserved


サポートいただけるかた、大募集です! 知りたいこと、ありませんか? わたしでよければ素敵なコトバを贈ります♪