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どうなろうとわたしの人生だ。

好きとの出会いを求めている人です。
それは同時に好きではないものを
避ける人生でした。

最近つくづく思うことが
好きなことを探して手に入れると
それを好きなあまりに他のことを
認めないで(見えないふりをして)、
頭の中から消してしまうことと同義だ。
好きでないことをなぜ好きでは無いのかを
考えることは不毛である。
だが、上手くいくことと上手くいかないことを
天秤にかけたとき、上手くいくやり方を
重視するあまり、上手くいかないことを
無かったことにしている自分に気づいたのだ。

失敗は成功のもとであるが、なぜ失敗したのかを
考えることは不毛である。自分が未熟だったから
やり方がマズかったから。考えが浅かったから。
そんなふうに自分を責める言葉が湯水のように
湧き出してくるばかりで、全く建設的ではない。
それを寝る前にやろうものなら、眠れなくなること請け合いだ。そうでなくても疲れて帰ってきて
さらに自分に鞭打つことなどどうしてできようか。
休みの日?いやいや、やめてくれ。
休みの日はウィークデーのことなど
なかったかのように重荷を置き肩の力を抜く時間である。全くもって嫌である。

それなのに。社会は、いや、会社というものは
私がなぜ失敗したのかを問い詰めてくる。
やめてくれ。わたしはそのことを考えると
胸が苦しくなってしまいには鬱な気分になる。
それを毎日せよとは、どんな修行僧だ。
まさにいまの職場はそのルーティンが素晴らしい。
(皮肉ではない)。

毎日毎日その日の業務の棚卸しをする。
それはかなりの負担である。そのことで
自らをアップデートし、成長させることができる。
そう思って(思い込んでなきゃやってられない)、
毎日叱咤を受けている(激励はない)。

だがさすがにそればかりされると
怒れてくるのも事実だ。繰り返すが激励はなし。
褒められて伸びるタイプを知らないらしい。
とにかく厳しく叱責することで
利益を出そうとする姿勢は
なるほど見上げた利益追求型である。
わたしはそんなこと望んでいない。

営業が上手くいかなければ会社は潰れる。
その担い手が潰れれば?それは代わりを連れてこれば良い。つまり使い捨てである。
ならば使い捨てのコマらしく、使われることは承知しよう。だがわたしの個性まで捨てたわけでもなければ、指示を無視してサボっている訳でもない私に対する仕打ちとしてはそれはさすがに残酷すぎる。

怒るという感情にまで制御されたくはないので
どこかで爆発しようと思っているが
それは子どものように喚き散らすとか
言いたいことを言い放つとかではない。
わたしは私の中で理論建てて反論の素材を
集めているところである。

それでわたしを反逆者扱いするのなら
そこで試合終了。わたしは喜んで辞退しよう。
そこまでの引き金を引く勇気が果たしてあるのか。
それは常にわたしに委ねられた唯一のトリガーである。そこまでわたしも人間を辞めたつもりなど毛頭ない。

ただひたすらに言うことを聞く人が欲しいのならそれはわたしでなくてもいい。わたしにそれを求めるのなら。その時は真逆の存在であることを改めて説明せねばなるまい。

わたしはなぜか、来週の金曜日に、今の会社から呼び出しを受けている。金曜の夜に会食だそうだ。その場でわたしはなにを言われるのか。どう考えてもいい話ではなさそうである。給料の減額?退職勧告?どちらでもいい。ちょうどいい機会だ。ワタシノイイタイコトヲイワセテモラオウ。どうなるか?その答えについては、またここで語らせてもらおうと思っている。

MUSICAでした...♪*゚

どうなるかわからないから悩む。
それなら決めてしまえばいい。
どうなろうと。私の人生だ。
また探せばいい。

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