利他的行動と共感力。
今の世に求められているものとして、共感がある。
そして、利他的であることが美徳だ。
対する個人的な意見や目標は独りよがりと見なされ
嫌煙される風潮が強い。
利己的であればもはや救いようがないほどだ。
わたしにとって共感とはなかなかに縁どおいものとなっている。昔から他人と共感できる感情をもちあわせて来なかった。それはなぜだか分からない。ただひたすらに、人がいいというものを理解できなかったし、人が楽しいということを楽しめなかった。人が悲しいということを悲しめずに、人が怒れると言ったことをへーと受け流した。そんなわたしであるから、共感は大の苦手と言っていい。だからわたしは今の世の中において、共感を強制する雰囲気に馴染むことが出来ない。いいと言われればそうかな?疑い、楽しいと言われれば何が楽しいのか考え込んでしまう。悲しいことは、悲しめず、怒りだけはまあ何となくわかる。けれど実際に理解しているとは言い難い。わたしが唯一近年で共感出来た感覚は鈍感力であった。何にも動じず何にも心を動かされない芯の強さ。それは芯が強いのか、はたまた人より理解力が悪いだけなのか(それを鈍感というけれど)、それもよく分からない。けれども、私がこの10年ほど、世の中の流れを無視して鈍感力のみを研ぎ澄ましてきたことはここへ来てわたしを窮地に追いやったのだということだけはよく分かった。だから、わたしは学び直しが必要だと感じたのである。
今の若い人を中心に、利他的であることは美徳であるという風潮があることはわかった。そのために必要なスキルが共感である。しかし、冒頭にも言った通り共感スキルはわたしにとって最も縁遠い存在であった。わたしはコミュニケーション能力を磨いたつもりがわたしの言いたいことを端的に表現する能力の獲得をしただけに過ぎず、相手を見るという当たり前の姿勢を失わさせていた。それがわたしの個性であるかのような勘違いすらした。それを最初に感じたのが、オンラインゲームで出会った人達の存在であったことはわたしにとって貴重な体験となった。そのことからわたしは共感が重要であるという仮説を得、今度はリアルの世界で体験することでリアルな自分を成長させようという目標を得たのである。この話は過去に何度もしている。割愛する。
利他的であって共感の力に優れた竈門炭治郎は、妹の禰豆子を人間に戻すという目的のために鬼殺隊に入隊する。
ここには利他的行動しかない。わたしからすると、なぜ竈門炭治郎がここまで他人のために頑張れるのか全く理解できない。
竈門炭治郎は、鬼がどんなに非道な行為をしても、鬼になってしまったことに不憫に思い、共感していく。そして究極的には赦していく。
ここには共感の範囲が示されている。仲間や家族に共感するだけでなく、敵や他人にも共感していくその様はわたしにとって理解し難いものだ。それは、自分自身が備わっていないように思えるからだ。
自分があって、他人がある。他人のために頑張る私偉いでしょ。共感できるわたし、人間として優れているでしょ。わたしのような、鈍感な人間にはその感覚は好ましいものではない。なぜなら、何が良くて何が楽しくて何が悲しくてなにが怒れるのかという尺度は人それぞれのものであり、わたしが今感じているものはわたしのものだ。私が何を感じようと私の自由だし誰かに強制されうるものではない。決してない。私がなぜこれを好きで何故それを楽しいと思って、悲しいと感じで、時に怒れるのか?は、わたしだからというシンプルな理由に集約される。私が大切なのは私であって他人ではない。情けは人の為ならずという言葉は分かる。しかし、究極的には私のためにしか動きたくはない。それが利己的といえば利己的であるが、なぜ他人のために動かなくてはならないのか。共感するというのは聞こえはいいが、一体どこまで共感すればいいのか。この人に共感して、ではなぜあの人に共感しないのか。それはあなたがあなたであるという理由以外にないのではないか。だからわたしは利他的行動も、共感も、出来ないのである。出来ないというと、ワガママに聞こえるのだろう。やりたくない事をやるほど暇ではないと言える人生こそが私の理想だ。実際はどうか?そんな分かりやすく生きることなどできはしない。だからわたしはわたしを主張することなく、ただ無感情に、一切の興味を表に出すことなく、生きていくしかないのである。
私の息苦しさはまさにここにある。私が私の感性を大切にしたいあまり、私は常に孤独だ。孤独は他人を共感しない生き方だ。しかし同時に自分自身のテリトリーを、守ることも出来る生き方だ。その分わたしは新しい情報を定期的に、(時に恣意的なものも含めて)収集して分析する必要がある。わたしは人より物事を理解するチカラが劣っているらしいので、それなら、人より多くの時間を考察に充てるしかないのである。そのためわたしは考えすぎることが多く普段から頭痛に悩まされることになるわけだけれど。
MUSICAでした...♪*゚
マジョリティにおもねることが幸せならわたしもそれを喜んでしよう。しかし、私の考える幸せは、マイノリティであることを自慢できるメンタリティである。それは世の中の常識からは外れているのだろう。しかしそれを直したところでわたしは利他的行動を取れるわけではない(ポーズとしてはするけれど)。共感は慣れか?そんな事に慣れるくらいならわたしは仮初の演技を続ける道化でよい。私を理解してもらおうなどと思ってはいない。
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