「青空に雨」第1話
第1話「星田勇気」
直接青いセロハンを貼り付けたような空からの強い光と、季節を前倒して衣替えしたばかりの制服が、ものすごく強いコントラストを生み出しているから思わず目を細めてしまう。高校生になって初めてのゴールデンウィークを終えた教室では、窓際の席に座る僕の所にもあちこちからウキウキした声が聞こえてくる。
「ねぇユウ、あっという間に6月になっちゃうよー。どう、高校生活は? 好みの女子はいた?」
同じ中学出身者も少なくない。今話しかけてきた女子ーー小川渚沙もその一人で、誰に対してもいちいち距離感がおかしい。話題だってそうだ。好みの女子はいるかなんて、今どきセクハラだと声を上げても通用するかもしれない。何に対しても興味が薄い僕は、小川が喜びそうな話題も持っていないし、やっぱり面白くなかったからちょっと嫌な顔をして見せた。
「さぁね、わかんない」
「えー、つまんないの。その答え、中学の時からずっと変わんないじゃん。高校生活をもっと楽しみなよぉ」
そんなこと言われても分からないものは分からない。楽しみは人それぞれだし、僕はそれなりに楽しい。人なんてそう簡単に変わらないのだ。
「えぇ? 星田君、中学の時からこんな落ち着いた感じだったの?」
「落ち着いた、なんていいもんじゃないって。いっつも一人でぼーっとしててさ。愛ちゃんも放っといていいからね」
「渚沙、その言い方はちょっと可哀想じゃない? 星田君も気にしないで」
小川は『ユウはいいんだよ~』と訳の分からない事を言い残し、女子の集団とキャッキャと笑い声をあげ僕に背を向けてしまった。僕は星田勇気。今月で十六歳になる男子高校生だ。
廊下を歩いていても、窓から見える透け感の強い新緑が、太陽の光を通して目に痛い。今日は本当に天気がいい。休み時間に一人でトイレから教室へ戻ろうと歩いていたら、隣のクラスの錦織大和が背後からじりじりと近づいて来た。そうかと思うと一気に至近距離まで詰め寄って間髪入れずにコソコソ話し出した。何だよ、体格に似合わないちっちゃな声で。
「おいユウ、聞いてくれよ……陽太がさ、長谷川さんの事好きみたいなんだよね、噂だけど。さすがのユウも知ってるだろ? 長谷川さん」
「まぁ同じクラスだし知ってるけど。近いな、離れろって」
大きな声では話したくなかったのか、近距離でいきなりこんな事を言うので、僕はびっくりしつつも眉間にしわを寄せた。僕も錦織も尾上陽太も、同じ中学出身だ。将来の事を深く考えないまま、平均的な進学先を選んだ連中は、大抵地元にあるこの高校に進む。まぁつまり僕たちも例にもれず、そういうことだ。
「で、俺も長谷川さんいいなぁなんて思ってるんだけど、どうしたらいいと思う? 陽太に勝てる気しねぇんだけど」
……知らんがな。
「はぁ? 知らないよ」
そんなこと僕は知らない。 アドバイスもできない。興味がないんだから好きな気持ちだってよくわからないのに。しかも、何をどうしたくて『どうしたらいいと思う?』なのかもわからない。
「ユウ、長谷川さんのいるグループとか、仲いいじゃん?」
「だって小川と仲いいみたいだし。僕が小川に絡まれがちだからじゃないのか」
「おお、なるほど小川繋がりか。それよりなんか知らない? 長谷川さんの好みのタイプとか、ズバリ好きな男子の噂とか。そもそもお前、どうしたらあんな自然に女子の輪に入れるんだよ」
「知らない。巻き込まれてるだけだし」
それに、そういうつもりで女子会に巻き込まれてるわけじゃない。
「なに怒ってんの? ……あれ? もしかしてユウも長谷川さん……」
「好きじゃないからな、別に」
「そっか、まぁそうだよなー。ならいいんだけど」
何が『ならいい』のか。
もう、この手の話題に巻き込まれるのが一番嫌いだ。誰が誰を好きでも構わないけど、同じテンションで僕を巻き込まないでほしい。怒って見えたんだとしたら、たぶん返事に困る苦手な話題を一方的にふられて不貞腐れただけ。
放課後の校庭には、早速正式入部の一年生たちを迎え入れたサッカー部が勢ぞろいして、大きな声で自己紹介をしているようだ。ユニフォーム姿と体操着姿の部員がおよそ半々。サッカー部の入部希望者は相当多かったんだろうな。
ひとり昇降口で靴を履き替えていたら、錦織の話題に出ていた尾上陽太に呼び止められた。
「ユウ! 部活決めたかぁ? あれ、帰るの? まさか高校でも……」
「僕は帰宅部一択。尾上は?」
「やっぱりか。俺は吹部。仮入部期間も終わってさ、今週から本入部。でも練習週三で今日は休みなんだよ。な、一緒に帰ろうぜ」
「あ、うん。いいよ」
尾上は中学の頃吹奏楽部で部長をしていた。
「高校でも吹部にしたんだ。男子少ないんじゃない?」
「それそれ。本当に男子なんて、先輩を入れても片手で数えられるくらいでさ。ユウ、吹部入んない?」
「音楽は、無理かなぁ……」
そう返事を渋ると、ただ叩くだけの楽器だってあるんだぞ! なんて言いながら僕を巻き込もうとしてるけど、そういう問題じゃない。でもそうか。こうしてる今も、錦織や尾上は、長谷川さんを好きなのか。
『好き』かぁ……
長谷川さんねぇ……
残念ながら、やはり僕にはよくわからない。
長谷川愛。早くも学年で人気がある女子のようで、可愛いという評判はよく聞いている。今一緒にいる尾上だって、女子の間では結構カッコいいなんて言われているのも知ってる。ただ、僕が変なのかもだけど、可愛いのもカッコいいのもよくわからない。単に興味がないだけなのか、美醜の感覚も好き嫌いの感覚もイマイチ機能していないのかはよくわからない。人の外見に関わらず、おおよそ普通なものと、ちょっと良いものとか、食べ物の味とか。そのへんの違いも正直よくわからない。芸能人とかだって、テレビで見るキレイな人たちだなぁという判断はできるけど、その見た目がきっかけで好きになるとか、そういう経験はないし「その他キレイな人たち」という感覚でしかない。よって、一般人の可愛いやカッコいいに至っては、全くもってわからないのが現状なのだ。
「ユウ、お前相変わらず休み時間はだいたい誰かに絡まれてるのに、放課後はいつも一人なんだな」
尾上、クラス違うのによく知ってるな。
「そうかも。自覚してなかったけど」
「マジか? 高校生になってもやべぇままだな!」
そのまま尾上は面白そうに笑い声をあげた。 そう言われてみれば、放課後は一人でそそくさと帰宅しているし、誰かと遊びに行くこともない。自覚してなかったのはさすがにヤバいのかな。これじゃぁまるで、真正のボッチじゃん。
「そうだユウ、信号のとこのコンビニ寄っていい?」
「いいよ」
「何か喉乾かね? 今日暑いよな」
確かに。眩しい事ばかり気になっていたけど、それなりに暑い。太陽がまぶしいという事は、そう言う事なのだ。
「あれぇ? もしかして俺、ユウに身長抜かれた?」
すぐに到着したコンビニの入り口で、ガラスに映った自分たちの姿を見て、尾上がびっくりした声を出した。身長?
「そうなの?」
ズルズル歩いていたから気づかなかったけど、去年はたぶん尾上の方が大きかった気がする。高校一年、伸び盛りなのかもしれない。
「ほら」
腕を掴まれて後ろに数歩引き戻された。開き掛けた自動ドアが閉まって、再び僕たち二人の姿が何となく写る。
「ほら、やっぱり!」
「横並びじゃ、そんなにわからなくね? そんな数センチ程度の差、気にしなくたって……」
「え、そう? 気になるだろ」
より正確な背比べの為か、横並びのまま肩を組んでギュウギュウとくっついてくるけど、もはやくっつき過ぎて正しい背比べなどできていないと思う。そもそも暑い。
「先月の身体測定、ユウ何センチだった?」
背比べというよりは、半ば寄り掛かられているかのような状態であきらめたように質問が投げかけられる。入学直後の健康診断。最初から身体測定の結果を交換すれば済む話だったんじゃないか。暑いだけ損した気分。
そういえば去年よりも伸びてたな。確か……
「176……だったかな? ってか、暑い」
「マジか! 本当に抜かれてんじゃん! ユウ、中学ん時はあんなに小さかったのに」
なんだか尾上が悔しがっているが、僕はそもそも誰かと身長を比べるなんていう事にも興味がなかった。
「意外と帰宅部でのびのびしてる方が身長も伸びんじゃねーの? ほら、暑いから離れろって」
「ズリぃな~」
そうおどけて僕から離れた尾上を見たら、そう言えば髪型とか、なんか中学の頃よりいろいろ変わった気がするなぁと感じた。思い起こせば、錦織も何となく大人っぽくなった気がする。
「なぁ尾上、そういえば最近髪型変えた?」
「今更かよ! 高校生活に向けて春休み中にイメチェンしたのに気づいてなかったワケ?」
「ごめん、今気づいた。なんか尾上もそうだけど錦織とかも、変わったのかなぁって」
「ユウは身長以外何も変わらないなぁ」
「……それって、もしかして好きな子ができたから、とか?」
そういう気持ちって、成長するのに必要な要素なのだろうか。そう思って気軽に口をついた言葉だったけど、尾上は必要以上に挙動不審な様子で変な声を上げた。
「は? えっ? 何だよそれ!」
「え、噂だけど長谷川さんとか好きなんじゃないの?」
「何だよその噂っ!」
違うのか、それとも図星なのか。どっちだ?
「長谷川愛は確かに可愛いかもしれないけど、その噂については所詮噂に過ぎないからな! っていうか、誰だよそんな事言うやつ」
尾上が長谷川さんのことを「長谷川愛」って芸能人を呼ぶみたいにフルネームで言うのが面白くて、思わず笑ってしまった。
「そっか」
錦織、良かったじゃないか。尾上は違うってよ。
「なにほっとした顔して笑ってるんだよ。もしかしてユウ、長谷川愛のこと……」
「好きじゃないからな、別に」
「そっか。ならいいんだ」
尾上も『ならいい』なのかよ。意味がわからない。
「長谷川さんの事好きで尾上のこと気にしてるやつがいたからさ、とんだ取り越し苦労だったなって思っただけ」
錦織が、とは言わずにほっとした理由を白状した。
「へぇ。ユウもそんな恋バナみたいなことするんだ」
「向こうから一方的に。僕じゃあ何も力になれなかったけど」
「なるほど。それはさて置き、ユウも髪型変えたら? せめて床屋じゃなくて美容院でお任せにしてみるとか」
これまた都合上、いつもの床屋でカットしただけの髪の毛を、ちょんちょんと引っ張ってくる。
「ユウも、せっかくイケメンなのに、これじゃぁモサくてモテないぞ」
顔と身長交換しろ、とか言いながら肘で突いてくる。
「ん? 別にモテなくても良くね?」
「ん?」
そうなのか? とでも言い出しそうな顔の尾上と目が合う。ついでにさっき、もしかして僕のことイケメンって言ってた? 人の評価基準とかよくわかんないけど、初めて言われた。
「そうかそうか! ま、ユウはイメチェンしがいがあるかなぁと思っただけ。興味なければむしろする必要なし! じゃ、俺こっち~。また明日な」
「おう、また明日」
通学路の分岐点で別れた。静かだな。暑いけど。
最近のクラスの様子とか、友達の変化とか、ついていけてない自分には気づいていたけど、なんだか彼らと僕とでは根本的に違う気がしてきた。モテるために何か自分を魅力的に見せようなどとは、高校生になった今も思った事がない。
「顔かぁ」
家について部屋に戻ってベッドに転がりながら、机の上にあった小さな折り畳みの鏡を手に取りのぞき込む。やっぱり良し悪しはわかんない。人の美醜もよくわかんないのに、自分の見た目についてなんて、余計に評価できない。俺は諦めて鏡を枕の横に軽く放った。そういえば、尾上も十分カッコいいって言われているのに俺の顔と交換したいのか。なんだかそんなこと言われたことないから新鮮だな。
「モテたいのかぁ」
中学の頃の教室の風景を思い出してみる。学校が変わったのもあるけど、中学が同じだったクラスメイトの様子はとても変わったと思う。みんなたぶん大人っぽくなってる。僕が置いていかれているのか、ただついていけてないのか分からないけど、だんだんとそういう感覚とか話題とかが合わなくなってきたなと思う。気になる誰かに気に入られたくて、自分自身へ工夫をしているけど、そもそもモテたいとか、そういう思いがない僕は、たぶん何の工夫もなくて、最低限清潔にきちんとしていることが「身なりを整える」だと思っていた。けど、どうやらそれだけではダメみたいだ。尾上には「モサい」って言われたし。
「髪型かぁ」
そういえばまたちょっと伸びてきた。そろそろ切らないと。尾上は「美容院でお任せにしてみるとか」って提案してくれたけど、それしたらどうなるんだろうか? 何か変わるんだろうか。
「好き、ねぇ」
……あー、やっぱわかんね、面倒くさい。ただ、周囲の様子の変化に気づいてから自覚したことはある。それは興味がないあまりに見えてなかったものがたくさんあるということ。けど、僕には恋とか必要なさそうだし、たぶんその気持ちが存在してない。それとも、もう少し大人になったらちゃんと判るんだろうか。どこかで補完することは可能なのかな? なくても生きてはいけそうだけど……
木曜日の夕方はなんとなく気怠い。帰宅してすぐにベッドでゴロゴロしてしまった僕は、そのままうたたねをしていたみたいで、夕飯を知らせる母さんの大きな声がするまで制服のまま眠っていた。
まぁ、本来僕にとってはそのくらい「どうでもいい」ってことだったのだ。
第1話「星田勇気」5545文字/完
《目次リンク》
第1話「星田勇気」5545文字
第2話「長谷川愛」2011文字
第3話「尾上陽太」4807文字
第4話「小川渚沙」2327文字
第5話「錦織大和」6443文字
第6話「青空に雨」