『時そば』 ~東西の比較~
落語の発祥として、江戸・東京と上方・大坂の二通りの流れがあります。そして、落語の演目も江戸落語と上方落語に区別することができます。現在、東京の寄席で演じられている落語、八っつぁん、熊さんが出てくるような、いわゆる古典落語のルーツをたどってみるとかなりの割合で上方ネタだった、と驚くことがあります。
と、こんな前フリをすれば、今回取り上げる『時そば』もそうなんだろう、と気付くわな。
今じゃ、江戸落語の代表的な演目として『時そば』も堂々、トップ3にランキングされています。アタシの脳内での順位ですが(笑)
物の本によると(何の本だか忘れた)、明治のころに三代目の柳家小さん師匠が上方落語の『時うどん』を東京へ移植して、作り替えて高座にかけるようになった、と書いてありました。それが確かなら、『時うどん』が先にできて、後から江戸前にアレンジした『時そば』が登場した、ということになります。
ここからは、アタシの考えですが・・・ちょっと長いからその心積もりで(笑)
起源はともかく、笑いの量から言えば、『時そば』よりも『時うどん』のほうが多い。
上方はまず何よりも“笑わせること”を最優先にする傾向がある。『時うどん』の前半、二人の客のやり取りは漫才のボケとツッコミの形ですね。即座にツッコむことで、笑いを取る。
一方、江戸の『時そば』は、前半の客と蕎麦屋のやり取りはあくまで伏線としての仕込みで、後半の与太郎的な人物がことごとく失敗をするところで、すべての伏線を回収する、というシンプルな形になっています。噺の構成自体は江戸も上方も同じだけど、よりシンプルに洗練されているのが『時そば』の特徴です。
それからもう一つ、食文化と了見(考え方、価値観)の違いもこの落語に見られます。
腹持ちがよく、安くて満腹を感じられるうどんは、実利を取る上方で好まれる。
一方、茹で時間がより短い細切りのそばは、慌ただしい江戸の生活において、うどんよりも好まれたようです。素早く、そして軽く食べられるそばは、江戸っ子の『粋(いき)』という価値観にピッタリあった食べ物でした。『時そば』で、前半の客は“粋な江戸っ子”を象徴する人物として描かれています。つまり、笑いを取ることよりも、江戸っ子としてのかっこよさ、を見せる噺となったわけで。
笑いを取るか、かっこよさを見せるか。突き詰めれば実(じつ)を取る上方と形にこだわる江戸、を表した噺とも言えます。
と、長々と比較論を述べたところで、ようやく本題、『時そば』の演出について。
そば屋の形はよくマクラでも解説するように、担ぎ屋台です。分からなきゃ、Googleなりで画像検索してね。こいつを担いで夜の街を流して歩く、その冒頭の売り声ひとつで、観客を江戸の世界に引き込む。木枯らし吹きすさぶ、路地裏に響くそば屋の声。寒さ、荷の重さ、少しうつむき加減で、しかし路地奥まで届くような売り声が肝要。
一人目の客は、上記のように粋な江戸っ子を体現したような、あくまでサラッと演じるのが大切。もちろん、そば代を誤魔化そうというしみったれの本性は江戸っ子の風上にも置けねぇ奴だけど。そば屋をほめる時も、あくまでさり気なく。花巻にしっぽく、これも検索すれば出てくるので、ご自分でお調べください。しっぽくうどんなら、冬場に出してる店があります。讃岐うどんの店でね。
そばをたぐる(すする)。落語の代表的な仕草のひとつ。巧みな方はそばとうどんの食べ分け(音と仕草で)もできる。もちろん、上手いに越したことはない。見せる、聞かせるのも芸のうち。
古今亭志ん生師いわく「そばを上手く食うところを見せる噺じゃないよ」。そばっ食いの仕草がヘタなアタシには、なんとも心強いお言葉です(笑)
「今、何どきだい?」これまた『時そば』を象徴するセリフ。江戸の刻限についての説明、はとてもじゃないが枚数が足りない。不定時法やら時の鐘、九つから四つまで減っていく不可思議などなど。これを詳細に解説しだすと、途端に落語がつまらなく感じる(笑)
金勘定の流れで時を尋ねる。テンポ、流れで持っていく場面です。
↑ここまでが仕込み。↓こっからが伏線の回収。
二人目の男は”形だけ真似したって上手くいくわけがない”ってのを体現したキャラで、間抜け、おっちょこちょい、ダメダメな人物を自分なりに作ってみて。
サゲの金勘定、これがやりたくてここまで引っ張った。そのたくらみ、くわだて、浅はかないたずら心を、テンポよく。「今何どきだい?」まで上り調子で持っていって、サゲはぐずぐずと。
もうおなじみの噺なので、サゲもよく知られてます。どっと受けることの方がまれ。サゲが受けなかったからといって、「時そばというお話で」みたいな言葉は蛇足になるので不必要。
老婆心ながらご注意を。老婆じゃないけど(笑)
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