【小説】KIZUNAWA㉒ 都大路その2 金毘羅様
見送った三人はゆっくりと歩き出した。
「少し喉が渇いた」
達也が言い出したのは六区のコース内にある神社の近くであった。
「少し先の神社で休憩しようか」
茉梨子の提案に二人は頷いた。と言うより魔女にこびを売る姿にも見えた。
中継所から一キロ弱歩くと大通りに面して大きな赤い鳥居がある。境内は通りから奥まったところにあり、高い木々に囲まれ、夏には木漏れ日で幻想的な涼しさを醸し出す静かな場所だった。
太陽は茉梨子をベンチに座らせて達也と少し離れた自動販売機へスポーツドリンクを買いに行った時だ。
「この神社は『新井金毘羅神社』だよね」
突然達也が言い出した。
「ごめん。神社の名前見てなかったよ」
太陽は自動販売機から出て来たスポーツドリンクを一本達也に渡して言った。太陽は兎に角赤い鳥居としか覚えていなかったのである。
「悪縁を切って良縁を結ぶので有名な神社だよ」
達也はそう言った。
「達ちゃんそんなの良く知ってるね」
「毎晩、食事の時に桜井さんが読んでくれたから覚えたんだ」
太陽にはあまり興味がなかったが桜井さんが達也に京都の神社仏閣を説明していたのは知っていた。太陽は桜井に「目印だけ覚えておけば大丈夫」と言われ神社仏閣の由縁までは聞いていなかった。
「達ちゃんは神社仏閣に興味があるの?」
「違うよ、自分が走るコースをイメージ出来る様に桜井さんに頼んで調べてもらったの」
達也は中継地点から七区のゴールまでの風景を自分なりの映像にするため、出来る限りの学習を毎日続けていた事は太陽も知っていたがまさかここまで記憶しているとは思ってもいなかった。
「達ちゃんはやっぱり凄いよ」
「照れるからそんな事は言わないで。広江さんが待っているから行こう」
二人は茉梨子の座っているベンチまで戻って来た。茉梨子はさすがに疲れた顔をしている。達也たちの練習の後、学校に戻り毎日仲間のジャージの洗濯や部室の掃除と陰の努力を繰り返していた事を太陽は気付いていた。京都に来る時も運転する桜井さんに気を使い寝ないでいたようだったし、今晩も遅くまで練習記録を書いたり、ユニフォームを整えたりと頑張るのだろう。
「俺のおごりだ!」
太陽は茉梨子の疲労が気になって仕方がなかった。それは、テザーを通じて達也も感じ取っていた。二人を元気付けたい達也は、急に飛んでもない事を言い出した。太陽を真ん中にして三人がベンチに座って休んでいた時だ。
「楠君! 広江さんに何か言いたい事があるんじゃないの?」
「達ちゃん急にどうしたの?」
太陽には達也の意図が分からなかった。
「中三の時からずっと思っていた事を告白しちゃえば、神様が聞いてくれるかもしれないよ」
「何言ってんだよ」
「アレレー、僕! 邪魔かなー」
「達ちゃんも疲れてんじゃあねーの?」
「楠君が言わないなら、僕が代わりに言ってあげるよ。広江さん! 楠君が中三の時か……」
達也がそこまで言った瞬間、太陽は達也の口を抑えで彼に覆いかぶさった。
「達ちゃん! 一回黙ろうかな?」
「ワッワカツツ」
達也は左手で太陽の体を叩いた。格闘技で言う降参のサインだった。
「二人とも面白い」
茉梨子はお腹を押さえて笑っていた。気が付くと、つられて達也と太陽も大笑いしていた。三人は久しぶりに笑った。
「その辺に、人一人が四つん這いで潜れる穴が開いた大きな石はない?」
達也が言った。
「あるある」
遥か奥に立つ社務所の更に奥のこんもりとした杜にそれはあった。茉梨子は目ざとくそれを見つけると楽しそうに言った。
「その穴の外側に願い事を書いた紙を貼り付けてね、結ばれたい人の名前を唱えながら下から上に潜ると好きな人と結ばれて、逆に上から下へ潜ると別れたい人との縁が切れるらしいよ」
「面白そう。私やってみよう」
茉梨子はそう言うと『縁切り縁結び碑』と看板が掲げられた大きな石に向かって走って行った。が直ぐに戻って来た。
「達ちゃん! 願い事を書く紙は何処にあるの?」
「社務所に売っていると思うけれど」
達也が言うと茉梨子は片手を太陽に差し出すと言った。
「おつり頂だい! おごって」
太陽が自動販売機からおつりを取り出しているのを見ていたのだ。太陽はポケットの小銭を全てその手に移して
「他人のお金で効き目があるのかな?」
「だってお財布をホテルに忘れてきちゃったんだもん」
河豚の様に膨れる茉梨子の顔を見て、その場には和やかな笑いのつむじ風が巻き起こった。
「これで足りるかな?」
「確か一枚三〇〇円と桜井さんが言っていた気がする」
達也には珍しくあやふやな答えだった。
「僕も一〇〇〇円札一枚だったら持っているから予備に……」
達也がポケットから一〇〇〇円札を出して茉梨子に渡した。
「サンキュー」
茉梨子は嬉しそうな顔で社務所に向かって走って行った。その後ろ姿に達也は「上と下を社務所で確認した方が良いよ!」
と叫んでいた。
社務所では巫女さんが三人で応対をしていた。
「一枚下さい」
と言う茉梨子に優しそうな巫女さんが粘着テープの付いた願い事用紙を渡してくれた。
「三〇〇円の納めで御座います」
やはり達也の記憶力は並外れている。茉梨子はその紙に願い事を記入してから巫女さんに
「すみません! 上と下の見分け方を教えて下さい」
そう聞く茉梨子に巫女さんは
「行けばわかります」
と笑顔で答えた。
茉梨子は『縁切り縁結び碑』の中央に願い事を張り付ける。木札で上と下が表記された狭いトンネルを下から上に向かって潜った。
「これで良し!」
茉梨子が達也たちの待つベンチに戻り掛けた時、一二月には珍しい暖かい風が吹いた。その風に揺れていた茉梨子の願い事用紙には『上田北高等学校サッカー部が国立競技場のピッチに立てます様に。太陽と私が結ばれます様に』と書かれていた。
二人の元に帰った茉梨子は
「達ちゃんのお陰で元気が戻ったよ。さあ帰ろう」
何時もの元気な笑窪に戻っていた。
「何をお願いしたんだよ?」
「そんなの秘密に決まってるでしょ!」
茉梨子は教えてくれなかったが、達也は何故か笑っていた。
「結ばれたい人の名前を言いながら潜ったのか?」
「……」
「大丈夫だよ。ちゃんと言っていた」
達也が言った。
「達ちゃん聞きに来ていたの?」
茉梨子は呆気にとられた。
「ベンチまで聞こえたもん」
達也は両手を広げて耳にあてた。
「恐るべし! 達也の聴能力(ちょうのうりょく)」
太陽が洒落を言ったのだが誰も笑わなかった。
「桜井さん化したか?」
太陽は心で呟いていた。
三人はゆっくりと歩きながら達也のイメージを更に膨らませた。もう直ぐムーンバックスの曲がり角に達する時だった。
「あれ? 今、横川君たちのバイク音が遠くで聞こえた気がする」
達也が言い出した。
「何を言ってんだよ。ここは京都だよ。あいつらがここにいる訳けがないじゃん。達ちゃんの聴能力もさすがのハードトレーニングで衰えて来たか?」
太陽の言葉に茉梨子も笑った。
「そうかな? あの音は確かに横川君たちのバイク音だったと思うけどなー」
「京都は都会だからバイクも多いし聞き違えたんだよ」
太陽は軽く言ったが達也は真剣な顔をして言った。
「あんなに悲しそうなバイクの声は、聞き違えないと思うんだけどな」
達也は言い張った。
「別に、横川君たちが京都に来ていても良いんじゃない?」
茉梨子が二人の会話に割り込んだ。
「……」
「だって、彼らだって上田北高の生徒なんだから応援に来てくれたのかもしれないでしょ」
茉梨子は何時もポジティブである。
「茉梨子の発想は何時もプラスだな」
「でも、もし彼らが京都に来ていて何か言ってきても、太陽! 喧嘩は駄目だからね!」
茉梨子の厳しい言葉に太陽は何も言い返せなかったが一言だけ『お前もな』と心で反論した。
「喧嘩して勝ったって、格好良くないんだからね」
「分かってるよ!」
「なら良い! 行くよ」
魔女は自分が戸沢家で横川を殴りつけた事など忘れたかのようだった。坂を上り頂上を歩く。
「新幹線が来るよ」
達也が急に言った。するとやがて陸橋の下を新幹線が通過した。
「僕の聴能力、落ちてないでしょ」
「本当に横川たちは京都にいて、俺たちの事を邪魔しようとしたら、俺は茉梨子との約束を破るかもしれない」
「駄目だよ! 喧嘩したら只じゃおかないからね」
茉梨子いや魔女が拳を鳴らした。第六中継地点には中田が待っていてくれた。
「お疲れではありませんか?」
中田は三人を気遣った。
「ありがとうございます」
茉梨子が礼を言うと
「あれ? 自転車は」
「そこのコンビニに預かってもらっています」
茉梨子が店を指差すと中田は即座に礼を言って引取り、自転車をワゴン車に積み込んだ。
「さあ! 帰りましょう」
静かに走り出した車内で太陽が突然喋り出した。
「なあ茉梨子! 今晩お前の部屋に行って良いか?」
「どうして?」
「お前の仕事手伝うよ。俺はさ、ほら選手じゃないから」
「太陽だって大切な選手ですよ」
「手伝うよ! お前だって少しでも早く寝ないと体がもたないだろう。達ちゃん、良いよね?」
「勿論良いよ。広江さん! 金毘羅様のご利益があると良いね」
茉梨子は真っ赤な顔で「ありがとう」と言い両手団扇で顔を扇いだ。確かに全員のユニフォームにアイロンを掛けてゼッケンを付けたり徹夜も覚悟していたからだ。
「楠君! その辺りに金毘羅様が降臨していないかな?」
達也は意味深な言葉を呟いた。
「……?」
鈍感な太陽に、その意味が分るはずはない。
「皆さんは仲が良いのですね」
中田はバックミラーを見てそう言った。やがてワゴン車はホテルに到着した。茉梨子が自転車を降ろそうとしていたら
「そのままで結構ですよ。明日からも私が送迎のお手伝いをいたします。しかし、私は陸上競技の経験が御座いませんので走る事についての相談は上田の協会の方々に電話して下さいね」
中田は優しく言ったが茉梨子は心配していた。
「中田さんにはホテルの仕事があるのではありませんか?」
「大丈夫ですよ、女将の了承はとってあります」
道を得るものは助け多く道を失う者は助け寡し、協力者がまた一人増えた。
食事の時間に桜井が達也にコースの右手にある景色を必死で伝えた。三人が練習中に桜井もコースを歩いて地図には載っていない店や祠、お地蔵さんまでメモに納めていたのだ。達也のイメージする風景は更に広がった。
部屋に戻ると桜井は達也と太陽の両足をマッサージしてくれた。
「この辺りは痛くありませんか?」
桜井は達也の右脹脛をさすり聞いた。しかし、達也は首を振った。太陽が心配になり尋ねる。
「桜井さん何か気になるの?」
「いえ、気のせいの様です」
桜井は言った。
ベッドに入った達也は直ぐに嘘の寝息を立てた。太陽は「達也は相当疲れているな」と思いそっと部屋を出た。
茉梨子の部屋で太陽は皆のユニフォームにアイロンを掛けていた。隣で茉梨子が一人一人のゼッケンの裏に何か文字を書いてはユニフォームにピン留めをしている。
「何を書いてるんだ?」太陽が聞いても茉梨子は「秘密」としか言わなかった。
「来年! 君が国立競技場に行く時は、私がユニフォームにアイロンかけてあげるね」
茉梨子の言葉に太陽は笑顔で頷いた。
「その時はユニフォームの裏に今みたいに何か書いてくれるか?」
「全国に行けたらな!」
何時もの笑顔が言った。
「行くさ! 来年は行く! 今回の伴走で一回り大きくなった楠太陽を見せてやるから」
太陽の応援で茉梨子の仕事は早く終わった。
「早く寝ろ! お前、何時も頑張り過ぎるからな」
そう言いながら部屋を出る太陽の背中に茉梨子は心を込めて
「ありがとう。行けるよ、全国大会! 太陽たちならきっと行ける。信じてる」
それは、太陽にとって、力強くて優しく、とてつもなく素晴らしい言霊であった。
つづく
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