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【小説】KIZUNAWA⑬・温かい協力者

 練習の前に陸上部の村田が数人の部員を連れて来た。
「柞山キャプテンから頼まれていた応援隊を連れてきました」
陸上部のマネージャーをしています石井智子二年と一年の工藤望智(くどうみさと)です。それと中距離の練習コーチとして三年の岡田真一(おかだしんいち)と山中敏明(やまなとしあき)であった。
「最後に一〇キロのコーチは私、村田がやります」
村田は言った。
「智子! 手伝ってくれるの?」
茉梨子は嬉しくてたまらない。
「当たり前でしょ。私たちが駅伝部のお世話をするから、茉梨子はあの問題児たち専属で頑張んな」
智子が『本当の駅伝部』と題してSNSで拡散してくれたお陰で誹謗中傷も収まりつつあり、駅伝部に平和が戻り始まっていた。それだけでなく、陸上部のマネージャーだった智子は、茉梨子のために駅伝部応援隊へ立候補したのである。
「五キロは二〇秒、一〇キロは五〇秒縮める練習メニューを考えてきましたが三ヶ月で無理をして怪我をしては元も子もありませんから、足の筋肉の状態をこの後確認します」
村田は言って保健室の美人先生、坂本に合図を送った。
「はい、みんなここに並んで頂だい」
坂本先生のフィジカルチェックが始まった。
「西之園と楠は西之園のペースに合わせてゆっくり走る事から始め、トラックを二〇周、八キロ走れる様になったらロードへ出る事を許可します。二人は取り敢えずタイムを考えずにやりましょう」
村田は平然と言った。
「二人のメニューは広江さんに渡します。状況判断も貴女に任せます。良いですね」
村田は茉梨子を見つめていた。駅伝部の本格的挑戦がスタートしたのである。
 
「達ちゃんと太陽は昨日と同じ様にトラック三周、村田先生の指示で三角コーンを置いておくからそれを避けて走るのよ」
茉梨子は村田からもらった練習メニューを告げた。太陽たちはその通りに練習を行い、その後に保健室で筋肉マッサージを受けた。そして、しばらくの間、これが二人の日課になった。
 
 太陽たちは帰路についた。河山駅前の引田サイクルの前で深呼吸をして、二人は店に入る。応対に出たのは作業服を着た若い店員だった。太陽が謝罪に来た旨を伝えると奥からスーツ姿でネクタイを締めた引田が出て来た。
「今朝はご迷惑をお掛けしてすいませんでした」
太陽は深々と頭を下げた。
「怪我はありませんでしたか?」
逆に引田は太陽を気遣った。
「はい! かすり傷ですから」
太陽が言うと引田は笑顔で
「かすり傷でも時期を考えないとね。君たちがランナーに立候補する前、マネージャーの広江さんがどんな思いをしていたかを考えて下さい」
引田は店の壁に貼ってあるチラシを指差した。そこには、何時か茉梨子が引き裂かれて投げつけられた部員募集のチラシがセロハンテープで張り合わされていた。
「このピースだけ見つからなくてね」
引田は張り合わせたチラシの抜けている部分を指で撫でる。
「でもねこのピースは君たちが埋めてくれたのですからもう剥がれない様にしないといけませんよ」
太陽がチラシの状況を達也に説明してから聞いた。
「このチラシは?」
引田は誹謗中傷に負けないでチラシを配り続けた茉梨子の事を二人に話した。
「二人が繋がっているのはテザーですか?」
「はい! あいつ、茉梨子が用意してくれました」
太陽は答えた。
「ほー。彼女が作ったのですか?」
引田は笑顔だった。
「真面目で一生懸命なお嬢さんですね。お二人がこのチラシに応えたメンバーなのですから、かすり傷でも怪我につながる行為は自重しましょう」
引田は笑顔であったが、その言葉には厳しさが込められていた。
「分かりました。本当に申し訳ありません」
二人は再度頭を下げた。
「私は此れから長野市で会合がありますので、行ったついでに正式なテザーを捜してみましょう! 田舎と違って向こうは都会ですから正式なテザーが見つかるかもしれません。もしも、手に入ったら、地元から全国大会に出場したお祝いに私からプレゼントしましょう。ただその心の籠ったテザーには勝りませんがね」
そう言うと引田は、電車の時間があると言い足早に駅に向かって行った。
 
 二人の練習も六日目を迎えた日、達也と太陽の息もだいぶ板に付いて来ていた。そんな日、黒塗りの車が一台、校門を入って来るのが太陽の目にはいった。
 
「達ちゃん、今日も頑張ろうね」
太陽は気にする事もなく練習を始めていたのだが、この車に乗る人物が後に校長室での壮絶な戦いの相手であったのである。
 
「良いよ! この調子なら意外に早くロード練習に入れるね」
茉梨子がストップウォッチを握り締めながら何時もの笑顔で言った。すでに達也はトラック八周を遅いジョギングで走れる様になっていた。もともと達也は事故にあう前は太陽たちと同じサッカーチームに所属していたので根っからの運動音痴ではなかったのである。
 
「達ちゃん、話があるのだけれど」
汗を拭きながら呼吸を整えている達也に茉梨子が語り掛けた。
「何?」
「キャプテンと話したのだけれど、達ちゃんには六区の五キロを走ってもらおうと思うの」
「二区か五区の方が距離は短いじゃあないか」
太陽が水を差す。
「そうなのだけれど、六区は曲がり角が一回しかないから殆ど直進。北高から西に真っすぐ走って、牛丼屋さんのある交差点を左に曲がって長い坂を一回上って下りれば城址公園前駅。これは京都の六区と殆ど変わらないコースなの」
「残りの時間で五キロを走れる様になるのかな?」
太陽は不安だった。
「今の調子なら行けると思うし、本番と同じ様なコースが身近にあるのは達ちゃんにとっては都合が良いと思うの」
「大丈夫! 僕、五キロ頑張るよ」
達也が言った。
「ロード練習はこのコースで練習しましょう」
茉梨子は出来るだけ本番に近いコースを模索していたのである。
「……」
二人は無言でうなずいた。
「ただ、大会までに調整が上手く行かなかったら五区の優生と入れ替えるから焦らないで頑張るのよ」
「大丈夫、頑張るから」
ひとりぼっちで俯いていた達也の姿はそこには無い。
 
 戦いに挑む以上、視覚障がい者が仲間であっても勝利を目指す。アスリートスピリッ、北高駅伝部はこんな集団なのである。
 
雅人たちは達也に繋ぐまで一秒でも短くするべく練習を続けていた。五キロ区間とそれ以下の区間は、陸上部の山中先輩が一緒に走り細かくタイムを計測し遅れると強烈な叱咤が飛ばされていた。五キロ以上の区間は村田先生の指導で岡田先輩が共に走った。
「諏訪! 二〇〇メートルごとにタイムを確認しろ! 本番当日は陸上部とサッカー部員が二〇〇メートルおきに立つから、必ずラップを確認し一秒でも遅れたらすぐに戻せ。一区で全てを決める気持ちで走らないと負けるぞ! 良いな?」
岡田先輩の厳しい指示に豊は頷くのがやっとだった。
「返事は? 返事が聞こえないぞ、もうギブアップするのか?」
岡田先輩の叱咤は容赦ない。
「……ハァ、ハァ、ハァ。ノー、ノーギブアップ!」
「その意気、その意気だ! ラップの確認忘れているぞ、必ず確認」
「……オーケー」豊は何度も頷いた。
「逆井と鳥海も同じだ! 特に君たちの八キロはアップダウンが激しいから諏訪に付いていく様に練習しろ。君たちもラップタイムは必ず確認しろ」
「……はい!」
「……了解です」
健次郎と栄も豊に付いて必死に走っていた。
 一方、五キロ以下の区間を伴走していた山中先輩は雅人のスピードに付いて行けなく愚痴を零していた。
「参りましたよ。柞山は速すぎです」
山中は村田に泣きついていた。
「柞山は大丈夫ですから、君は三キロ区間の中村と斎藤の二人を見てあげて下さい。特に中村は下りのコースです。スピードを出し過ぎてオーバーヒートの恐れがありますし、斎藤が襷を渡すのは西之園です。タイミングも重要ですね」
村田は笑いながら言った。
「分かりました」
 
 『道を得るものは助け多く道を失う者は助け寡し』
 
達也のために一秒でもタイムを縮めて彼を楽に走らせてやると必死に励むその姿は、孟子の言葉通りに協力者を増やし、共に戦う力を培っていた。そして、駅伝部は順調とは言えないが、全員がそれぞれの立場で目的に向かって同じ方向を見つめ、必死に全国大会に向かって前進していたのだった。

 宮島がグラウンドに降りてきた。
「村田先生ありがとうございます。子どもたちはどうですかね?」
「素晴らしいチームですよ。この調子なら殆どの子が区間新記録を出すのではないですか」
村田は自信を持って言った。
「そうですか、よろしくお願いします。私は校長室に呼ばれてしまいました」
「とうとう来ましたか?」
「はい来てしまいました」
宮島がグラウンドを後にする背中に
「諏訪! ラップを後一秒縮めなさい」
村田の大声が響いていた。
 全国大会のレースが既に校長室で始まっていた事を、必死に練習する選手たちは全く知らなかった。
                               つづく

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