『伊東法師物語』六「岡崎一門中並びに家老の者、義元卿へ訴えの事」
(1)あらすじ
竹千代が尾張国から人質交換で岡崎城へ戻った時、今川義元は、「竹千代はまだ幼いので、駿府で預かる」と言った。
そして竹千代は、元服し、結婚し、初陣も済ませた。岡崎衆としては、「大きくなったのだから、返して下さい」(さらには、岡崎城の駿河衆を引き揚げさせ、領地も返して)と言いたくなった。
さて、今川義元の返答やいかに。
(2)原文
一、元康、駿府より岡崎へ帰城致すに付ひては、人質の儀、家老の者より在府せしむべき事
一、岡崎、山中、蔵納明知行分、前々の如く返し置かるべき事
一、駿府より岡崎へ在番の儀、全く助用無く候。引き退くべき事
右条数を以て、義元卿え御断申すべしと相談致し、石川安芸守、本多豊後守、天野甚右衛門、駿府へ相詰め、様々訴訟申し候え共、承引(しょういん)無く、義元卿、御挨拶には、近年、尾州表へ発向すべし。其の時分、境目等、敵の城とも相隨へ、其の上を以て、祖父・清康卿持ち分の通りは相違無く支配有るべき也。全く異議を存じ間敷きの旨、仰せられければ、両三人の衆もとかう申すべく様無くして帰参致ける。
(3)現代語訳
一、松平元康は駿府から岡崎へ返して下さい。その場合、家老が人質として、駿府に住みます。
一、岡崎や山中(岡崎市舞木町)の蔵納(蔵入地)や知行地は返して下さい。
一、駿府から岡崎城へ入れられた在番については、全く必要がない。なので、駿府へ戻して下さい。
以上を書き記した「条数(箇条書きに書いた手紙)を示して、今川義元に判断してもらおう」と相談し、石川安芸守清兼、本多豊後守広孝、天野甚右衛門康景の3人が駿府へ行き、様々な訴訟をしたが、今川義元は承知せず、「近々、尾州方面へ出陣する。そして、尾張国と三河国の国境の敵城を味方に従えた時を以って、祖父・松平清康が持っていた知行地は、そのままお返しする。全く異議は無いよな?」と言われたので、三人衆(石川、本多、天野)もあれこれ言えなくて岡崎へ帰ってきた。
(4)考察
相手が今川義元ですから、圧倒されて終了。
反論したら切腹を命じられそう。