DONYORI CAFE通信〔号外〕
大人ってずるいなぁと、ふとした時に感じることが最近多い。具体的な内容としては、適当な受け答えをあたかも、心から思っているようにして人に言う事。その相手がたとえ10代であっても。純粋な心で相手がその話を本気にとらえても、大人は知ったこっちゃなし。
「いや、あの話適当だから。」
「俺は適当な人間だって言っただろ?」
「まさか本気でとらえるとは思わなかった。」
大体こうやって言ってのける。
本気でとらえて、嬉しくなって、不安だから「冗談じゃない?」と聞き返したその時には、「本当だよ、本当本当。」と返事をしたのにもかかわらず。
大人ってそういうものなの?
と本気で思ってしまう。最初からやるつもりがないのであれば、言わなければいいのに。ただそれだけのことがどうしてできないの?子供のほうが、よっぽど言葉の重みを知っているよ。そう叫んでやりたくなる。そう言っている間も、私は「完全な大人」へと刻々と近づいている。そう考えただけでも身の毛がよだつ。将来的にはすっからかんにこういう考えも忘れて、「完全な大人」として適当な会話をしているのだろうか……。
子供はいつも、周りの大人を見て育つ。大人は偉く見えるものだ。凄い存在に見えるものだ。そんな存在の大人から、本気な顔して冗談っぽいことを言われ、「嘘じゃないさ!」と軽々しく言われて信じない子供がいるか??いやいない。それでいて大人は自分の都合が悪くなったり、立場が危うくなったりしたその瞬間に、子供を突き放す。
「そんなこと言ってない。」
「お前そんなの信じたの?いや、ちょっと考えればわかるだろう。」
まるで純粋な気持ちで受け取った子供が悪いかのようにして。
こうしてその子供たちもまた、純粋な心を失ってその世界に足を踏み入れるのだろうか。
学校ではさんざん、人の話を聞け、相手の目を見ろ、信じろ。と教え込まされるのに、いざ「大人」の話を聞いて、受け止め、きちんと信じたら、今度はそれが悪い?
子供を潰しているのは、大人だ。そのことを忘れてはいけない。全大人にこれが当てはまると言っているわけではない。最近、あまりにもこういう大人とご対面しすぎて、不安で不安で致し方ない。
子供たちは学校で、「復習」や「振り返り」を絶えず真剣に行っている。その間、大人たちも真剣に、真面目に自分の今までのふるまい、言動、行動の「振り返り」、そしてあるべき大人の姿を「復習」してもらいたいものである。