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文春記事に価値は無い

松本人志氏の文春記事によって、あたかも週刊文春が芸能界の闇を暴露していると思っている人は、実は大きな誤解をしていると言えるだろう。

確かにジャニーズを解散に追い込んだジャニー喜多川氏の性加害問題を暴露してきた文春は、社会に対して芸能界の構造的害悪を暴露したということで意味はあった。ジャニー喜多川氏は、男性アイドルグループという日本の芸能界における独自のジャンルを確立した功績は大きかったが、その裏側にはジャニー喜多川氏の性加害に裏打ちされた構造的な闇が存在したこと早い時期に暴露してきた文春も、一応の結果を残してはきた。

ただ、今回、ジャニーズという企業が世の中から抹消されるきっかけを作ったのが文春であったか?と言われれば、そうではない。実際にはガーシーがカウアン岡本氏に行ったインタビューがきっかけであり、BBCが製作した番組がきっかけとなって、世界的にジャニー喜多川氏の闇が暴露されたことが大きいだろう。

松本人志氏の一件について、文春が追及しているのは、刑事事件の可能性が高い事件や芸能界の構造的な問題を追求したのではなく、松本人志氏の被害者とされる女性の証言を記事にしただけのことで、こう言ってる人がいるよと、真実相当性があるとの疑いを記事にしているに過ぎない。言い換えるなら、読者に「匂わせ」を行うことで、興味を引き、雑誌や文春オンライのビュー数を稼いでいるに過ぎない。

以前の拙稿でも触れたように、文藝春秋社が行っているのは、単なる営利活動であって、その金ズルになっているのは、読者だ。読者が興味をそそる記事を書いて、お金を稼いでいるだけの企業だ。

私はそれを悪いと言ってるのではなく、読み手がそのことを忘れてはいけないと言ってるのだ。

文藝春秋社にしてみれば、松本人志氏の問題、ジャニー喜多川氏の問題、その他政治家や芸能人の下ネタ記事にしても、それで社会を浄化しようなどと微塵も考えてない。いずれのケースも、記事にされるような行動を起こしたご本人が悪いのであって、それを取材して記事にして何が悪い?というスタンスだ。

事実、書かれている記事が事実か捏造か虚偽かの部分よりも、読者は記事内容に何が書かれているか?しか関心がない。文藝春秋は、たとえどのような記事内容であっても、読者は時が経てば忘れることをよく知っている。だから、次から次へと、政治家や芸能人の下ネタを探し回っている。次々と、記事になる題材を探しているだけのことで、そういう雑誌社だと知ることが大事なのだ。

文藝春秋に対しての認識を変えた上で、下ネタに興味がある人なら雑誌を買えばいいし、文春オンラインのサブスクに入会すればいいと思う。しかし、他人の下ネタなどどうでもいい人間にとって、そんな無価値な記事に金を払うことはドブに金を捨てるようなものだと知っている。日々の平凡な生活にあって権力者と言われる人、金持ちと言われる人、世の中で注目されている人の下ネタを読んで溜飲を下げる自分こそが無価値な存在であると気づくまで、ドブに金を捨て続ければ良い。

文藝春秋自身も、実はそのことを白状している。

つまり、読者はバカだから金儲け出来ているのだと、読者をせせら笑っているのだ。

これに雑誌社の論理が働くのも当然と言えば当然だ。実際に元文春の編集長だった木俣正剛氏は、雑誌社が抱えるリスクについて指摘している。

木俣氏の文章を読めば、文春砲を喰らった側のことなど何も気にしていないことが分かる。どうでもいいのだ。つまり、ここに営利企業としての利益誘導の方向性が見て取れる。雑誌社である以上、雑誌を売っていかなければ企業として成り立つわけもなく、その為にはスクープを打ち、売上を伸ばすしかない。

また、木俣氏の言によれば、名誉毀損のリスクについても、賠償額は実売額から言えば、決して小さくはないと言い、確かに元編集長という立場で数字も含め言い分があると言えなくもない。

ReHacQでのインタビューに答えた文藝春秋社の編集局長・新谷学氏のインタビューの中で、新谷氏が実に興味深い指摘を行っている。

このインタビューの中で新谷氏は、文春の取材スタンス、記事に対する発行の根拠と会社としての姿勢を赤裸々に答えている。

また松本人志氏の記事に関しても、途中の経緯も含め、別の機会にこれも裁判に影響の無い範囲で詳細に答えている。

今回の文春報道の背景に関して当事者の声を聞く中で、文春の姿勢を明確に知っておく必要があると考え、関連の動画を見てみたのだが、総じて文藝春秋の考え方の根本にあるのが、営利企業としての姿勢ということだ。

言い訳がましく、今回の松本人志氏の件については、雑誌が売れることよりも社会的影響を踏まえ、むしろそちらを重要視して記事にしたと言う。

新谷氏は文春は有名人の下ネタばっかり追っかけてる雑誌ではないと言うが、それは文春側の言い分であって、実際に文春を手に取る読者は、トヨタ自動車の調査報道よりも松本人志の名前が表題にある記事を見て雑誌を買うのである。それは厳然たる事実だろう。

新谷氏の言葉の裏返しとして、彼が文春で確固たる地位を確立した背景は、営利企業として売上を伸ばした社員の手腕を会社が認めて地位を上げたに他ならない。新谷氏は政治家のスキャンダルもちゃんと記事にしていると胸を張るし、事実、そのような記事もあっただろう。しかし、直近で週刊文春が売上を伸ばしたのは、アンジャッシュの渡部氏の不倫記事だと白状している。つまり、下ネタ記事は売れると自ら述懐しているではないか。

新聞社にしても雑誌社にしても、彼らなりの矜持を口にするが、本音の本音は営利企業として売上をどう伸ばすか?が主眼にあるのだ。それが資本主義であり、資本投下したものの見返りを求めるのが今の営利企業のあるべき姿だ。逆にそうでは無いと言うことの方が、本音を覆い隠した建前論ということになるだろう。

何度も言って申し訳ないが、それを悪いことだとは決して思わない。むしろ、営利企業としては売上を伸ばす手法を考えているのだから、優秀な社員が集まっていると考えるのが自然だ。

何を言いたいかと言うと、そう言う雑誌社の本音の部分について、我々読者が見抜いた上で書かれている記事を読む必要があると言うことなのだ。

人間は好奇心の生き物なので、当たり前だが、有名人や著名人が表の顔とは違う側面があると匂わせるような記事に触れれば読んでみたいと思うのも当然だし、また、そう言う匂わせ記事によってウッカリ雑誌を手に取らせる手法でお金を稼ぐやり方も、虚偽や違法行為でない限り、あって然るべきだと思う。

ただ、それによって雑誌を増長慢に陥らせるのは、読者側に責任があると言える。つまり、売れるから書くのであって、売れなければ会社は潰れるだけだ。それを企業として存続させるどころか、サラリーマンとしての役職が上がり、会社は業績を伸ばすことで更に評価が上がることを目的に記事を書くのは、むしろ当たり前の経済活動であり、では文春のような下ネタ雑誌を調子に乗らせているのは誰か?と言う問題を、もっと真剣に読者は考えた方がいいのではないか?と私は書いているのだ。

と言うのもどうでも良い他人の下ネタ記事を読んでも、決して読者自身の生活が向上するわけでも、自分が住んでいる街の住人の全部が善人になるわけでも、自分の勤務する会社の上司が今日から良い人になるわけでも。いきなり自分の給料が3倍になるわけでもない。全ては他人事なのだ。

文春の立場は、一応、自分たちが書いている記事は、社会正義に立脚しているとは言うだろう。これも当たり前で、自分たちが自ら「売ったもん勝ち」とは決して言わない。言うわけがない。

ジャーナリズムは国家が統制するものでも、また巨大資本が運営するものでもない。経営権も編集権も独立しているべきなのはその通り。ただ、公益性の面で、100%公平公正な記事の編集など事実上不可能だ。それなら、スポンサーを一切つけないで、雑誌の売り上げ「だけ」で運営しなければいけない。そんなことは不可能だ。逆にそれをやると、今度は読者がスポンサーになってしまうので、今の赤旗のように政治イデオロギーに左右されてしまう。ジャーナリズムは民主主義からも分離されるべきなのだ。

つまり、経営権、編集権が個々に独立した組織など、事実上、今の日本ではあり得ない。

話を元に戻すと、文春のような下ネタ雑誌は、所詮、商業主義でしかないので、いくら綺麗事を書いたり言ったりしたところで、一般の読者が食いつく「とくダネ」を拾ってくるしかない。だから、有名人に張り付き、下ネタを探しまくって、読者に溜飲を下げると言う一時の快楽を提供しているだけなのだ。

その点は、パチンコの機械を作っているメーカーと似ている。パチンコメーカーは自分たちを遊戯機を作っているメーカーだとして、決して射倖心を煽る博打の機械を作っているとは言わない。三店方式のグレーゾーンの世界の機械とは言わないし、言うわけない。

何故なら、法治国家の日本では公営ギャンブル以外、ギャンブルは認められていないからだ。かろうじて未成年の入店を禁止する風営法の該当店に指定するくらいのものである。そのパチンコメーカーだって、巨大な資本を利用して、国が作ろうとしているカジノに入り込もうとしている。

カジノを作る動きが出た当初から、パチンコ機器メーカーは土地取得や、ルール作りに関与して利権を得ようと、様々な手練手管を利用しているのだ。

パチンコの射倖心も、文春の下ネタ記事による好奇心も、広義で同じことをやっている。そこには、突っ込まれても逃げ口上にする大義名分が存在するのだ。大人の世界の本音と建前だ。

繰り返すが、雑誌を買う人間がいるから、売る人間がいる。パチンコで一儲けしようと企む人がいるから、機械を作り、場を提供する人間がいる。実に簡単な論理で、資本主義、商業主義である以上、否定などできない。

であるならば、最初から、他人の下ネタ記事などに興味を持たなければ良いのだ。買う人がいなければ売る人もいなくなる。

では本当にそんなことが実現するか?

無理だ。人間の欲は止まることを知らないので、「知りたい」と言う欲求に、人は抗うことは出来ない。ならば、他人の下ネタになど関心を示さない、もっと熱中してもっと人生を謳歌できるものに関心を持つ以外にない。

そして、他人の下ネタに関心を持つのは愚かな人間だけだと自覚するしかない。

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