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アルコール依存症との戦い第4章

第4章 幻覚、幻聴ヘ


プラザ合意から始まったバブル景気も、土地関連の融資引き締め、いわゆる総量規制が行われた。
ジャブジャブ湯水のごとく金を貸していた銀行が急に蛇口を止める事となり、日本銀行はさらなる金融引き締めにより日本経済は、極度な悪化を向かえることなる。

後のバブル崩壊である。

崩壊直後の金融、不動産系列大変な痛手だっただろう。

大手の証券会社、銀行、大手ゼネコンはズルズルと倒産、会社更生法へと引きずり込まれていった。

それから5年近くが経とうとしていた。

幸いと言って良いのか分からないが、私達の業界はバブルの恩恵も、そう受けなかった分、被害も少なくここまでなんとかやってきた。

だが流石、後に「失われた20年」と呼ばれた事だけはある。ボチボチと創作単価が下がり始めてきたのだ。

そんなストレスもあり、私の酒の飲み方はさらに加速していった。

もう、言い訳もきかぬアルコール依存症になっていたのだ。

因みに日本に存在するアルコール依存症者は、
推定90万人とも言わてもいる。

しかし驚く事に、その90万人中で治療や施設に携われている人が、約2万にも満たないのだ。

依存症予備群にしては450万人とも言われ、一般の習慣飲酒者は3000万人、予備群も決して少なくはない。

近年やっと政府が重たい腰をあげWHOを主体とした「アルコール健康障害対策基本法」なる法律が作られたが、遅すぎだろう。が、が私の感想である。

ところで私も普通の人間である、酒で体は悲鳴を上げていた。

その頃から私は胃痛に悩まされ、胃薬を飲みな、がら酒を飲んでいた。妻の前ではいつも平然と振る舞い仕事に行っていたので、特に私を心配してる様子も、なかった。

彼女の父親いわゆる、私の義理父は下戸で、酒が一滴も飲めないのだ。その血を引き妻も下戸である。

なので私の飲み方を、知らないせいか「酒が大好きな人」ぐらいにしか思っていなかったそうだった。

休みの日は昼間から飲んでいた。知らぬ間に手を止めてみると、震えが、止まらなかった。

小指と薬指がピリピリ常に痺れている、アル中特有の末梢神経障害も起きていた。

しかし、流石に胃痛には勝てず、総合病院で
はじめての胃カメラである。

カメラホースの太さは、大人の薬指ぐらいあっただろうか、飲み薬で一応喉を麻酔する。

口から徐々に入れられるのだが、これがまた苦しくて、自分で引っこ抜こうかと、思ったぐらいである。

胃の表面には潰瘍の後いくつかあり、検査の結果ピロリ菌を退治する事になった。

お陰で胃痛はなくなったが、痛みがある時に、
控えていた分を、取り戻すかのように酒量は増えていき身体はもうダルさの局地に来ていた。

苦しければ、苦しいほど身体は酒を欲しがるのだ。
もちろんダルい身体を引き摺り仕事には、毎日出勤していた。

ここで肝臓を悪くしたら、どのくらいダルいのか例え話になるが、話て行うと思う。

因みに肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれ何か、異変を感じた時には、病はかなり進行していると言われている。

昭和の大スター石原裕次郎(私も小さい頃TVで少々見た記憶程度である)の兄である元東京都知事だった石原慎太郎氏が執筆し出版された「弟」を読んだ事がある。

昭和の大スターも酒により早くに命を絶たれた。裕次郎もまた酒豪でもちろん知られていた事は有名な話だ。

今では考えられないが、映画の撮影中も携帯用の小さな冷蔵庫にビールを冷やし飲み飲み、撮影に参加していたという。

本の内容は弟、裕次郎との兄弟の思い出や絆などについて書かれていて、もちろん弟裕次郎の最後に関しても綴られている。

弟裕次郎が動脈瘤乖離既で入院、既に肝臓癌だった頃、慎太郎はよくお見舞いに行っていた。
その時床に伏せていた裕次郎が言った言葉が載っていた。

「兄貴、もう体がダルくてたまんないんだよ寝てもダルくたまらないんだ。この際、腕を切り落とし欲しいぐらいだよ」と記されていた事を、自分の身体のダルさから思い出したのだ。


そしていよいよ次のは「隠れ飲酒」である。

職場を抜け出しては、コンビニで小さなストローで飲むパック酒を買い飲みだしていた。

手が震えているので、ストローがなかなか上手く刺さらないという、なんとも情けない姿である。

家では妻とは寝室が別であったため

(別に不仲ではなくエアコンの設定温度の違いや私の煙草のせいで、たまたま1人ぐらしを始めた娘の部屋空いたので妻は移動していったのである)
 
私の部屋のクローゼットには日本酒を始め、強い度数のウイスキーが隠されていた。

流石に今までの健康診断の結果や、酒量の多さに気付き始め、、妻も酒をつ控えるよういい出したので、食事時にも、しっかり晩酌を終えたあとは

「そろそろ寝るわ、お休み」

と、言って自室では寝る前の、寝酒と称してウイスキーのラッパ飲みである。

そして前章で記した、危険な「ブラックアウト」は毎日続くようになっていた。

ある日の事である、寝起きは調子悪く朝飯も食わず、というか朝飯など社会人になってから食べた事がなかったが。毎日の深酒で受けつけないのだ。

体調の悪さはもう慢性化し、特に驚く事もないのだが、この日は事更体調が悪かった。

会社に着いたとたん「どうしたんですか顔色が悪いですよ」と従業員に言われた。

しかも、まだ秋口だというのに、冷や汗のようなものをかき、身体全体がガクガク震えているのである。

「社長風邪じゃないスッか?」「今日はこのまま帰って休んだ方が…」そう言わた。

瞬間「そ、そうだな悪いけど今日は帰るわ」と、言い残し言われるがままに帰宅の途についた。

今でも忘れる事はない、あの時感じた異常な思い。

帰り道、私の脳裏には「あ〜酒飲みて〜」である。自宅につくと妻は仕事、子供達は学校で誰もいない。

着替えもせずそそくさと、キッチンに向かいグラスにパック酒を注ぐが、体ごと震えているので、周りに酒をこぼしながらやっと、いっぱいになったグラスを両手で掴み半分ほどイッキに飲んだ。

2〜3秒が長く感じた。そしてその後、サーっと各血管にアルコールが行き渡るのが、わかるのだ。残りを少しずつ口にしている頃には、汗は引き震えも止まり、私は落ち着ちついていた。

私はなんとも、言えない強烈な多幸感につつまれながらも自然と涙を流していたのだった。



しかし飲み過ぎから、たまに来る胃痛には
勝てず酒をかなり減らす晩が、たまにあった。

ただし、こういう日はほとんど朝まで眠れずいた。

そして真夜中の事である。自室の外から声が聞こえるのだ。しかも息子の声である。

「おい、オヤジ、出てこいや」と、慌て窓を空けるが誰もいない。

息子の部屋に行けば息子寝てるのである。
その繰り返しである。

別の日には天井が揺れて、虫がポタポタ落ちてくるのだ。怖くなり私はキッチンに降り、痛みも忘れ酒をガンガン飲んだ。

次は、いよいよ、飲んでも胃が受け付けず、飲んでも直ぐに吐くようになる、すると夜中にまた同じような事がおこった。

アルコールが途切れて起こる幻聴、幻覚だったのだ。


しかし、この頃から自分はより一層、酒との付き合いが異常だと、普通ではないと毎日酒を飲み続けながら悩み始めいた。

まだ、アルコール依存症と言う言葉も意味も知らなかった私は、おもむろにパソコンを開いた。

かなり久々にパソコンを触ったかもしれない。

私は一時期、ネットで株取り引きをしていた。

もちろん損を出し辞めてというか、株は塩漬けにしたままで、パソコンだけが寂しくホコリをかぶっていたのだ。

記憶はさだかではないが「アルコール」「アル中」「酒」「病気」こんなフレーズで検索をかけたと思う。

すると、たくさんのアルコールからくる病気やアルコール依存症の情報が溢れていた。

なんだ!自分だけじゃなかのか!と、言う喜びと安堵のような物が心に湧いていた。

酒を飲み酔いながら、依存症や酒の害ついて読んでいると、何故か嬉しくて、楽しい気持ちになり、色々なサイトを見捲くっていた。

中にはアルコールについてケンカ腰に討論して
いる掲示場を見て、酒を飲みながら笑っていた。

そこにとあるブログが目についたのだ。

読み始めると、止まらなくなった。内容はなんとなく境遇が自分と、似ているような気がしてならなかったからだ。

とにかく驚かされたのは、投稿者は私と同じような、飲み方で生きてきたにも関わらす、既に酒を経つ事に成功している内容だった。

気が付くとページの済には酒を辞めてからの日数を表すカウンターのような物が貼られていた。

酒を辞めて「1147日」え〜!「2年!?いや3年越えてるじゃね!」とても信じられなかった。

私はの頭の中では、もう一生辞めると言う言葉はなく、調子が悪くなったら辞めて、また飲み始め、一生酒と付き合うと思っていただけに、しばらくあ然としてしまったのだ。

そして皮肉な事に、この今の私の飲み方に関する事まで書かれていた。

身体が調子悪くなると量を減らし、良くなるとその分大量に飲み出す。アルコール依存症末期の「山型飲酒」と呼ばれるらしい。

「末期」という言葉が胸をついた。

かなりのページ数だったので、何日もかけ読んでいった。中には、共感する事だらけで「お前は俺か!」みたいな感覚である。

酒に溺れ家族を失った話、体をこわしていく話
アルコール専門病院ヘの入院、どれを取って同じように見えた。

ただし、自分は辞めようとは思わなかった。私には家族いる。妻がいる。入院はしていない。

アル中の悪い癖であり、今の現状を認めようともしない。いわゆるアルコール依存症別名「否認の病」が私を覆い尽くしていた。

認めてしまうと、酒が飲めなくなって、しまうのではないかと怖くなるのだ。

身体はボロボロ、健康診断では医師に

「この数値は肝硬変に片足突っ込んでるよ」
「このまま飲んで死ぬか辞めて生きるかだな」
「肝臓病はなかなか死なない、苦しむよ」

今まで医師に言われた言葉が浮かぶ

それからしばらくは、辞める事も出来ず酒に苦しめられる事になるのである。

続く

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