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アルコール依存症との戦い第5章

第5章 決意、そして自ら


辺りはまだ人影も見えず、照明もつけられていないので、緑に光る「非常口」の看板が、やたら目についていた。



健康診断の結果さえ、自分でも目を疑うような
数値だった。γGTPは軽く2000代を越えていた。業界で言う4桁の大台である。

平常値は50以下だ。それだけではない。

ASTもALTも3桁代である。友人の父親が肝硬変になった時とほぼ同じ数値なのを思い出していた。γのみが、高い場合アルコールが原因だとわかるのだが、他の肝臓を示す数値が高いのは、初めての事なのでかなり、ビビり始め出したのだ。

飲んでる時は「人生は太く短く!」などと酔ってほざいてた奴に限ってこんなものである。

実は私の場合、あまりも酷い数値だったので医師(近所の診療所)から直接、家に電話が来ると言う珍しいケースであり、それがまた恐怖心を更に掻き立てる事にもなったのだ。

夜、医師から電話が入る「至急検査が必要な数値なので、普通こちらから電話する事はないのですが、○○中央病院に私から電話を入れておくので、明日すぐに病院ヘ行きなさい」とのことだった。

流石に酒を飲んでる手も止まり、仕事も休みがちになっていた私は、もう駄目だと思い病院に行く決意したのである。

夜、部下に、説明し明日休む事と、もしかしたら入院になるかもしれない事を、念の為伝えておいた。

夜遅くなっても全く眠れない。

私は内心入院に、ならないかと期待をしていたのである。何故なら家にいながら自力で酒を辞める自信などなく入院すれば、飲むわけにもいかず、辞められるかと思っていたのだ。

しかし深夜になっても眠れず、いても立ったも
いられず私は眠らずに深夜に家を出た。
おそらく深夜3時ごろには病院の駐車場には着いていただろう。

頭の中は「肝硬変だったらもう終わりだな」
「しかしまだこの歳でそれはないか」「しかしあの数値は相当ヤバいだろう」などと色々な不安がよぎり、時間の感覚もわからず、飲酒欲求さえ湧いて来なかった。



ここは私の街から、小1時間ほど離れた県内でも
大きな中央病院。その内科の待あわせ室にある硬いソファーに私はもたれかかっていた。

明るくなるに連れ、早起きの老人らしき人達もポツポツ病院に表れて来ていた。車にいるのも落ち着かず、私は6時頃には病院に入っていたのだ。

順番はもちろん1番目である。

まずは診察室に呼ばれるが、書類を持たされ血液検査の場所へと移動し、すぐに採血となる。

いつもより多めの本数を採られた気がした。結果は午後であった。

流石に大手の病院、同じような患者もたくさん来るのであろうか。

はたまた見慣れているのだろか。検査結果を見ても先生は眉1つ動かすことなく「あ〜君、黄疸が出てますね〜とりあえず酒を断ち自宅で療養してください」と、驚くほど冷静に語りかけられた。自宅療養!?だと…

まぁ、残念と言うと語弊があるが、入院ではなく禁酒し自宅療養となり、複雑な思いと寝てない為か、気が抜けたような気持ちで、帰宅したとたんに寝てしまった。

それから数日ビビりながら、どうにもならない
馬鹿なアル中はこのまま行けば、どうなる事になるか予測しながら静かに酒を飲んでいた。

このまま飲み続ければ、すぐに肝硬変は間違えない。仕事は行けなくなるだろう。

飲酒からの肝硬変は不可逆的であり、ウィルス性と違い治る事はなく半分以上は肝臓癌に移行するのである。

仕事に行けなくなれば、家族も家も失い、どこか1人出て野垂れ死にか、などとネガティブな妄想をツマミに飲んでいた。

ある朝の事である。何を思ったのか寝起きに
家中の酒をシンクに流し捨てている自分がいる。
さて、私は酒を辞めるつもりなのか?と、自分の行動に理解もできずにいたが…

そう簡単には行かなかった。

仕事帰りコンビニの看板の下にある大き「酒」と、言う文字を見ただけで、もう挫折である。

それでも酒量を減らそうと意味のない努力を
始める。家に酒あると、とことん飲んでしまうので、少量、しかも嫌いなビールで誤魔化すつもりなのだろう。

最初は500mlを2本、翌日は4本そして、次の日は6本と全く意味のない事をしている私に、妻がこう言った。

「いいじゃない我慢しなくても、頑張って仕事してるんだし、明日は私が日本酒買って来てあげるからさ〜」

と、今までの検査結果、職場での隠れ飲酒、クローゼットの酒、検査結果。

何も知らない妻は私を、勇気づけてくれたのである。しかし追い詰められている気がしたのも事実だった。

翌日朝の事である、先日まで見ていた例のブログを思い出した。断酒の法則HALTが記されていた事を思い出した。

HALTとは、Hはハングリー空腹、Aはエンガー怒り、Lはロンリー孤独、Tはタイヤード疲れ、この4つは人間が酒を飲みたくなるきっかけになる状態だという話を思い出した。

つまり断酒をするにはこのHALTが重要視されていた。私はもう藁にでもすがる思いと、妻、家族を裏切りたくない気持ちで、いっぱいであった。

1番気になっていたのは空腹である。空腹な時ほど上手い酒はない。

妻に事情を話、大きなおにぎりを作ってもらった。おにぎりならコンビニでも売っているが
酒がある場所には怖くて入る勇気がなかったのだ。

ビックリした、あの感覚は今でも覚えでもる。

帰り飲みたくなると車の中でデカイおにぎりを食らう。すると少し経つと米の糖質が日本酒を飲んた時のように、血管へと伝わりサーっと伝わる感覚が表れ飲酒欲求が薄れて行くのがわかるのだ。

そうあの朝に体調不良で帰宅をし、すぐに飲んだ酒の感覚を思い出した。米だけに日本酒と同じ糖質だからか?と、真剣に思った。

「これなら行けるかも」と、ある意味、私を追い詰めた、妻の言葉に感謝して、今度こそいけるかもと、強い決意を胸に固めるのだった。

しばらくはこのペースを守った。しかし私は
山型飲酒者である。数日辞められた理由に体調の悪もあったのだろか…

業界では酒の離脱症状が本格的に出るのは
3日目72時間後だと言われる。

そこから更に3日間ぐらいすると体調も良く
なり始め、体中が酒を欲しがるのである。

その日の夜、幻覚は表れなかったものの、気が変になりそうなくらい飲みたくて、飲みたくて
たまらなかった。

また、汗をかき始め全身の震えが始まり、激しい動悸。今思うと頭の中では心身症になっていたかもしれない。

妻に寄り添ってもらいたい、リビングのソファで「もしかしたら死ぬかもしれない」と、真剣に思うくらい動悸が激しいのだ。

「もし合図したらすぐに救急車を呼んでくれ」と、妻に真剣に頼む。気が付くと手を握ってくれながら、ガタガタ震える私の頭を、妻はそっと撫でてくれていた。


私の記憶では1ヶ月ぐらいした頃から、落ち着きを取り戻してきたと思う。3ヶ月経つ頃には、コンビニの酒売り場の前も、なんとか素通りできてたと思う(酒からは目を反らしていたが)

しかし油断する気持ちには、なかなかなれなかった。例のブログはいつの間にか、私のバイブルとなり、時期を照らし合わせ読むようになっていた。

アル中がよくかかる、小指と薬指が常に痺れている、末梢神経障害もなんとか治っていた。

驚くのは肝機能障害が、ほぼ平常値に戻っていたのだ。

肝臓というのは簡単にいうと血液の塊のようなもので、例えば癌で肝臓の2/3を切り落し、残り1/3が正常なら3ヶ月もすると、元通りの大きさに戻るという、驚異の回復力をもつ臓器なのだ。

その分、何度もここで口にしているが、肝硬変と
いう肝臓が繊維化してしまう病気になると二度と戻らないのである。

業界では「沢庵は大根には戻れない」などと、自助グループでは囁かれていた。

先ほど言った何故3ヶ月我慢出来たのに、安心も出来ないか。これが依存症の怖いところでもあり特徴でもある。

よく例えられるのが、どんなに決意しても断酒しても3ヶ月ほどで挫折する者がほとんどなのだ。
理由はアルコール専門病院や一般の病院も退院が3ヶ月という事、先ほども言ったが3ヶ月で
肝硬変になっていない限り、元の健康な身体に戻っているからだ。

これを業界では「飲める身体になって帰ってきた」と、いう皮肉めいた言葉もある。

なら適量に飲めばいいじゃないか、と言う方が
たくさんいるが、そう簡単にいかないのが依存症なのだ。 

1度依存してしまうと脳はピークに飲んでいた量をインプットされてるため(覚醒剤も同じ)

私に例えると、最初少量で抑えられても、あっという間に元のブラックアウトするまで、飲んでしまう脳なのだ。それは例え10年辞めても同じなのである。

因みにこの再飲酒は業界でスリップと呼ばれ、繰り返すほど、辞めにくくなる。

例のブログ、それ以外にも依存症に関する本を何冊も読み勉強し知識を入れた。

付け加えて、入院または自宅療養でも数値的に健康な身体に対して急に大量のアルコールを、脳の指令でぶち込むのだから、身体はたまらない。

そのまま心疾患や脳血管疾患、呼吸器系疾患などの急死も珍しくないのだ。

なので、「辞めるならこの1発勝負だ」と自分に言い聞かせたのだった。

それでも統計は恐ろしい、スリップはほとんどが3ヶ月以内、1年辞められる確率は100人に1人
10年は1000人に1人いれば、良い方だと書かれている本もあった。

しかし考えて見ればそうの通りである、覚醒剤でさえ何度となく繰り返し捕まる芸能人。

それに比べ、酒を手に入れるには、ほとんどリスクがない。しかも合法で、どこでも安く手に入るのだ。しかも世の中周りはアルコールだらけなのだ。

辞められるわけがないのが、普通だと考えてしまうのが当然といえば、当然である。
すんなり辞められる方が不思議な病、それがアルコール依存症なのだ。

続く



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