カラスの声と寄せる波
近所のカフェに行くと、6歳位の子供が「早く行こうよ」と両親を急かしていた。僕も子供の頃そうだった。せっかく出掛けているのに、どうしてコーヒーなんて飲んで時間を無駄にするのだろうと、退屈で仕方ないその時間を納得できなかった。しかも僕はコーヒーなんて飲めず、それどころかケーキも嫌いだったので、仕方なくオレンジジュースでも飲んだりしてソワソワとしていた。
カフェへ行く楽しみを分かるようになったのはいつなのだろう。いつの間にか、家の近くでも、遠い海の向こうの旅先でも、カフェに入ってゆっくりとした時間を過ごすことが非常な楽しみとなっている。単なる休憩ではなく、そうかあの頃の両親はこういう時間を過ごしていたのかと思う。
有漏路より無漏路へ帰る一休み
雨ふらばふれ 風ふかば吹け
戦乱を生きた怪僧"一休"のこの歌は「人生というのは現世からあの世へ戻る前のほんの一休みみたいな時間で、別に何が起きても平気だ」というような意味合いだと言われている。きっと本当にそういう意味で詠まれたものだろう。だけど、快適な店の中でコーヒーを飲んだりしていて、外が真夏の炎天下になっていたり、生憎の雨だったりすると、なんだかこの歌を思いだしたりする。窓の外で天気がいくら過酷になったって、僕はただそれを眺め、平気で本を読んだり誰かと話したりしている。一休だって、もしかしたら軒先へ落ちる雨を眺めながら、畳の上で酒でも飲みつつこの歌を詠んだのかもしれない。
僕は高校生の頃、悟りを拓きたくて仕方なく、禅の本を読み、座禅にも取り組んでいた。悟りを拓きたいと言うのには、もう少し詳細に見ると2つの意味があったと思う。
一つは、この世界が一体何なのかを知りたいという知的な欲求の延長だろう。物理学や所謂宇宙論が好きだったけれど、それだけでは世界は本当のところ分からないのではないかと思い始めていた。
もう一つは、生活の悩みから開放されたかったということで、それは理不尽だと思いながら取り組んでいた受験勉強からの開放をそのまま意味する。僕はクラス分けが偏差値順になっていて1組が最も賢く、上位半分のクラスでは時間の無駄なので部活動禁止という受験以外のことは一切意に介さない高校(しかも男子校だった)に通っていた。今から思えばさっと辞めれば良かったのだが、インターネットがない時代の子供に過ぎなかった僕には怖くてその判断ができなかった。高校を辞めたら科学者になれなくなると思ってじっと我慢していた。
禅の本は古ければ古いほど真実味があると、これも子供地味た発想で思い、京都市内や梅田の古書の街などでなるべく古そうな(しかし高校生でも買える値段の)本を探した。結局、そうした本に何が書かれていたのかはほとんど何も覚えていない。そもそもの言葉遣いが分かり難かったり、古めかしいけれどどうでもいいエッセイみたいなことしか書いてなかったり、それほど熱中して読んだ記憶もない。
それでも、僕は禅の影響を受けているなと、最近たまに思う。
一休は二十代半ばで悟りを拓いている。琵琶湖に浮かべた船の上で座禅を組んでいて、明け方カラスの声を聞き大悟した。
しかし、興味深いことにその後の長い生涯の中、2回ほど自殺未遂をしている。さらに死の寸前、最後の言葉は「死にとうない」だったという話だ。最後の一言が死にたくないだったというのが、なんというか本当に奥ゆかしい。パキッとした覚醒だと勘違いしてしまいそうな「悟り」のことを、そういうものではないと教えてくれる。そういえば、ある老齢の禅僧が「悟りというのは平気で死ねるようになることだと思っていたけれど、そうではないことが分かってきた。平気で死ねるのではなく、平気で生きるということだった」と言っていた。平気で生きるというのは、「世界」には「外側」があると「認識」しながら目の前の事象に飲まれず「今ここ」を過ごすというようなことだろうかと思いつつ、「本当は」「語り得ぬもの」なので僕は沈黙せねばならない。
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