僕が音楽マネージャーになるまで – ⑩社会というフィールドで、人と音楽が繋がった最初の日
2010年1月11日、「世界の終わり」の「幻の命」がTOKYO FMの「SCHOOL OF LOCK!」でオンエアされることが決まった。
「SCHOOL OF LOCK!」は、TOKYO FMのモンスター番組だ。
まだインディーズデビューすらしていないバンド。
ライブのお客さんも10人に届くことはほとんどない存在。
わかりやすい言葉で言うと、世の中からするとただの「売れてないバンド」。
そんな彼らにとって、このオンエアは間違いなく異例の扱いだった。
当時の総合プロデューサーの森田さんが決断してくれた。
オンエア当日、僕はTOKYO FMのスタジオに伺わせてもらった。
メンバーが出演する訳ではないので、本来立ち会う必要はない。
でも、この日、自分が見つけた子たちの音楽が電波に乗って、まだ見ぬ誰かに向かって飛んでいく。
その瞬間を目にして、感じたかった。
人と音楽が繋がる瞬間を、目撃したかった。
目の前の大きなラジオ卓から全国に向けて、まだ誰も知らない存在の音楽が発信される。
社会というフィールドで、人生をかけて、人と音楽を繋ぎたいと思った僕の出会った才能が世の中に現れる。
「SCHOOL OF LOCK!」は、中高生に大人気の番組だったので、当時の中1の僕みたいな子たちがたくさん聴いている。
日本のどこかで、このラジオを聴いている子たちに向かって、音楽が羽ばたいていく。
番組が始まり、「幻の命」のイントロが鳴り出した。
目の前の景色が到底信じられなかった。
この先には、日本だけでも見ても最大1億3000万人がいる。
友達にCDを貸すスピードとは比にならない速度で、人と音楽が繋がった瞬間だった。
込み上げるように、涙が溢れてきた。
「人と音楽を繋ぐこと」
決して大袈裟ではなくこれは、音楽マネージャーの僕にとって核であり、人生のテーマだ。
人生の時間は有限で、時間の経過はとてつもなく速い。
自分の人生の時間がある限り、自分が可能な限界まで、もっともっと人と音楽を繋いでいきたい。
今、改めて、その気持ちに満ち溢れている。
そして、さらに、マネージャーとして10年過ごした今思うことは、音楽だけではなく、大きな意味で魅力あるエンターテインメントと人を繋いでいけるマネージャーになりたいと思っている。(社名の由来もここからきていたりするので、そのお話はまたの機会に。)
と、ここに至るまでにとても長くなってしまいましたが、これが僕がマネージャーになった経緯です。
中1の時、ミスチルのライブがなければ、僕はここまで音楽にはまっていなかったかもしれない。
音楽にはまっていなければ、タワレコで働いてもいないし、タワレコにいなければ清水さんにも出会っていない。
清水さんがいなければ、人生を動かしてくれた本「LOVE & FREE」とも出会っていない。
セカオワで海外展開を行い始めた時、当然だが英語力が求められた。
あの規模のグループ、いろんなプロジェクトが同時進行で走っていてかなり多忙で、メンバーの意欲も凄まじいので、日々想像を絶する程に忙しい。
ゼロから英語を勉強している時間を作ることは、正直、不可能に等しかった。
ただ、なぜか運良く僕には英語だけを真剣に学んでいた過去の時間があった。
あのタイミングでオーストラリアに語学留学をして英語を勉強した時間がなかったら、実現出来なかったことがいくつもあったと思っている。
当時こんな形で留学経験が自分の未来に役立つとは、微塵も考えていなかった。
圧倒的なカルチャーショックを与えてくれた初海外の中国。
僕の常識や概念を良い意味で土足で破壊してくれた中国人の方々。
彼らがいなければ、僕は自分の常識の枠に囚われたままの世界で生きていたかもしれない。
そうしたら僕は関わるクリエイターの可能性を自分の常識だけで制限するような最低最悪の考え方のスタッフになっていたかもしれない。
英語と海外というキーワードをまとった僕が、旅行会社の面接に辿り着いていなければ、人生を決定づけた「社会というフィールドで、人生をかけて、何を実現したいのか?」という問いに出会うこともなく、別の業界で生きていたかもしれない。
全ては偶然かもしれないし、運命かもしれない。
過去にこんな風に未来が繋がるなんて、本当に一切見えていなかったけれど、全ての経験が繋がって、今日の自分に辿り着いている。
スティーブジョブズが言っていた、「点と点が繋がること」。
これは、間違いなく真理だと僕は思う。
自分の心の声に素直に正直に生きてきたら、不思議と点と点が繋がっていた。
そして、いつも必ず、そこには人の縁があった。
振り返れば、全てが繋がっていた。
Follow your heart.
自分の心の声に正直に。
この言葉を噛み締めるよう大切にして、これから先も常に、忘れないようにしたい。
半ば強引にだけど、こんな奔放に生きる息子の進む道を許してくれた親には感謝しても感謝仕切れない。
今となっては必要な時間だったと理解してくれるけれど、当時、僕が親だったら間違いなく不安と心配しかないヤバイ息子だ(苦笑)。
最後に余談ですが、僕が初めてミスチルを見た会場で、2014年セカオワでもライブをすることが出来た。
その日、なんとなく中1の僕が座っていた座席の辺りを覚えていて、リハーサルはそこから見ていた。
今日来るお客さんの中にも、もしかしたらこのライブが人生初めてで、この体験が彼ら彼女らの人生を大きく決定づけるような、何かのスイッチが入るきっかけになるかもしれない。
あの日、ミスチルが与えてくれた衝撃で僕はSEKAI NO OWARIに出会った。
あの日の僕と同じように、今度はセカオワが誰かにとっての大きな存在になるかもしれない。
そんな子が20年後に新人を見つけて、まだ見ぬリスナーと音楽を繋いでいってくれたら、これ以上幸せな連鎖はない。
そんなことを考えるとなんだかとても不思議で、でもエンターテインメントの存在は、きっとそうあれたらいいなと思って、より身が引き締まるライブだった。
熱狂や感動は、誰かの永遠になれる。
それを忘れずに常にアンテナを張って、過去や自分の常識に縛られず、新しい才能を世の中に届けていく1人でいつまでもありたいと、強く思っている。
10話にも及んでしまった長いお話にお付き合い下さり、ありがとうございました!
このお話は、今回でおしまいです。
以降は、マネージャーとしての考え方などを、noteに書いていけたらと思っています。
いつか僕が出会った才能や音楽が、自然とどこかで知らない内に皆さんに繋がっていくことを願って。
https://twitter.com/Ryota_Shishido ラストラム→TOKYO FANTASY→RED 主に音楽関係のマネージャー 新しい才能との出会いを求めています。 音源やプロフィールはツイッターのDMかinfo@red.jp.netまでお気軽にお送りください!