僕が音楽マネージャーになるまで – ⑤自分の常識は、他人の非常識
始まりのきっかけをくれた高橋歩さんとのミラクルな出会いの夜を経て、ついに海外へ。
沖縄の友達新里くんが愛車ビーノを預かってくれて、僕はバックパックひとつで行動することが出来た。
この旅、初のフライトで沖縄から山口県に向い、下関へ。
下関から船で、人生初海外中国の青島へと向かった。
船に乗って、寝て、起きたら、そこはもう生まれ育った日本ではなかった。
少し前まで北海道からほとんど出たことがなかった人間の人生とは思えないくらい、あっけないけど急な展開。
決断するかしないかで進む道が変わるだけだと思いながらも、初めての海外に内心ドキドキしていた。
海外でのコミュニケーションについて、旅本みたいなもので情報収集をしていたら「言葉なんて話せなくて大丈夫!」や「英語は全く出来なくても、旅の間に自然と習得していきます」みたいなアドバイスがたくさんあって、まあ話せなくてもどうにかなるだろうの精神で考えていたのだが、自分にとってはこれがかなり予想と違った。
社交的でコミュ力高い人はきっとそれでも問題ないのだろうけれど、僕はそれとは真逆なタイプ。上記の考え方は一切通用しなかった。
しかも、今みたくスマホが発達していた頃じゃなかったので、検索して調べることも出来ない。
初海外、中国に上陸したけれど、看板一つとっても、何を指しているのか、何がなんだか全くわからない。
初めての海外での緊張感と高揚、そして、今までの人生で経験したことのない言語が機能しない絶望。
青島から北京に移動したくて駅でチケットを求めたけれど、全くコミュニケーションが通じない。
しかも、駅員さんも日本の様に丁寧な対応なんてなくことはなく、かなりアグレッシブ。
小休止に外にテーブルを出しているから食堂だと理解して、お店に入ってみても、今度は全部漢字で書かれていて、何がどれだかわからない。
大好きな酢豚と思われる字面も見つけられない。
きっとこれが酢豚だろう!と予測でオーダーしてみたら、なんと見た感じ同じにしか見えない緑の野菜の炒め物が3つ運ばれてきた。
泣きそうになりながら、酢豚を待っていた舌で、緑野菜炒めたちを平らげた(苦笑)。
とはいえ、人間適応していくもので、なんとか北京行きのチケットをゲットし、深夜列車で北京を目指した。
この時、4人がけの狭い席に、僕とその周りに中国人3人。
延々大きな声でなんか喋っていて何を言ってるか全くわからなかったけれど、わからないとそのうるささも心地よいノイズとなり、気づけばいつの間にか眠りに落ちていた。
目覚めた時、自分の目に飛び込んできた光景に驚愕した。
目の前に座っていた中国人の片足が、僕の足と足の間にあったのだ。
器用に足を伸ばして、狭い座席の中の貴重な空間を上手に活用していた(笑)。
日本だと、絶対に起こり得ない行為と光景に一瞬言葉を失った。
衝撃的だったけれど、ここは日本ではないし、きっと中国ではこれは普通のことなんだろうと考えを改めた。日に何度も何度も訪れるカルチャーショックに、今までの人生で凝り固まっていた自分の常識や概念がボコボコに壊れていった。
「自分の常識は、他人の非常識」
この時の中国のおかげで、その後、ある程度のことは「まあ、そういうこともあるか」と思える様になった。
自分の常識や概念だけで考えをまとめないようにしようとする癖がついたのは、確実にこの時からだ。
間違いなくマネージャーとしての素養にプラスになった経験で、人生どこに自分を成長させるきっかけがあるかなんて、本当にわからないなと思う中国体験だった。
https://twitter.com/Ryota_Shishido ラストラム→TOKYO FANTASY→RED 主に音楽関係のマネージャー 新しい才能との出会いを求めています。 音源やプロフィールはツイッターのDMかinfo@red.jp.netまでお気軽にお送りください!