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“あたりまえ”から消してゆく
対話は旅に似ている。
異なる価値観に触れ、世界の広さを体験し、“あたりまえ”が決して一つではないことを知る。あいさつ一つでも、握手する文化もあれば、抱き合う文化もあれば、両手を合わせて頭を垂れる文化もある。その土地のしきたりを学ぶことで、自分の“あたりまえ”を見つめ直し、その違いを楽しむ。対話は、旅をするような感覚で、異なる価値観や考え方を共有できる方法だ。“違い”をおもしろがることができると、お互いが新発見と再発見のギフトを贈り合える。
人間一人ひとりを一国の主だと考えると健やかなのかもしれない。わたしたちは、日本から遠く離れた国に住む人の“あたりまえ”は受け入れやすかったりする。たとえば、アフリカのどこかの国のとある民族の風習。否定も肯定もせず、「そういうものなんだ」と客観的に捉えることができる。だけど、隣人が変わった考え方の持ち主だった場合、途端に許せなくなる。
わたしたちは、似た環境に生まれていたり、似たことばを話したり、似た肌や瞳の色をしていたりすると、相手に“あたりまえ”を強要してしまう。物理的な距離が近ければ近いほどその傾向は強くなる。
でも、一人ひとりを一国の主だと考えてみると、人の数だけ文化や思想があることに気付かされる。それは、ごく“あたりまえ”のことなのだけれど、わたしたちはことばや肌や目の色に惑わされて、そのことを見落としてしまっている。
旅をするように、いろんな価値観や美意識に触れる。その歓びを共有できることが、豊かな体験なのではないだろうか。もちろん“違い”に驚き、のたうち回ってもいい。いずれにしても、そこに息づく“豊かさ”に変わりはない。
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![嶋津 / Dialogue designer](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/79360429/profile_8d593d6a08f92a4b857cb3ba2536bc3a.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)