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コミュニケーションと作品性について(Last Night オンラインバー vol.8)

8回目のオンラインCafeBarDonnaの振り返りです。

ここは夜な夜な集まり、密やかに語り合う場所……と謳ってきたのですが、今回はデイタイムに「オンラインカフェ」として店を開きました。その理由はアメリカのメンバーに会いたくて。そう、アメリカと日本の時差は、東海岸は13時間、西海岸では16時間にまで及びます。オンラインバーの定刻は20時(日本時間)ですので、アメリカでは深夜と明け方のちょうど境目の時間帯となります(これを「未明」と呼びます)。

窓から差し込む陽の光、PCの液晶仄白く、CafeBarDonnaを開店。アメリカ組を中心に、この日もユニークなメンバーが集まりました。

【Members】

まず話題に上がったのは、昨日のマリナ油森さんが書いた『無自覚な悪意との戦い方』という記事。コミュニケーションについて重要なことが書かれています(ぜひ読んでみてください)。オンラインとはいえ「人と人のやりとり」です。ソーシャルネットワークによって誰もが簡単に人とつながりを持てるようになりました。利便性が先に来てしまって、それを扱う能力が伴わない。そのようなことはよく起こります。

それは決して他人ごとではなく、自分の日頃の振る舞いなどを含めて改めて見つめ直す機会をくれました。それぞれの考えをディスカッションする中で、「交流の中での振る舞いというのは言葉だけではない」と思うに至りました。注意することもコミュニケーション、やさしく包んであげることもコミュニケーション、沈黙を守ることもコミュニケーション。そこにはそれぞれの品性が現れます。

ここからは僕の持論ですが、文章を書く人は内省的な人が多い印象です。自分の感情だけでなく、相手の行動や心の機微に敏感で、それを〝自分〟という心の器に取り入れてつぶさに観察しながら文章にしていきます。そこに独創性が生まれたり、表現の喜びを感じたりする。インターネットによって「書き手」の人数が増え、さらにSNSの到来によって自分が書いた文章を読んでもらえる機会が増えました。

興味深いことは「〝増えた〟のではあるが、読まれない」ということが起こります。「あの人は読まれているけど、自分は読まれない」ということで嫉妬や軋轢を生みます。そして数名の人が、本質的な「コミュニケーションの重要性」に気付くのです。読まれるためには、まず人の文章を読む必要がある。それも、ただ数を読めばいいという話ではなく、深いところまで潜ることで書き手との関係性は構築されていきます。僕は偶然にも、「教養のエチュード賞」というコンテストを開催したことによってそのことに気付きました。届いた作品を僕に宛てられた手紙として受け取り、それに対して一通一通返事を返していきました。

次第に多くの人が肌感覚で「交流」の重要性を感じはじめ、それだけでは足りないと思って目立つために企画を立てるようになる。それ自体が悪いことなのではなく(むしろ良いことだと思っています)、忘れてはいけないことは、ほとんどの書き手は「内省的である」ということです。「作品性を高めること」と「コミュニケーションで良好な人間関係を構築すること」は同じではありません。むしろ、対極の存在として機能するケースの方が多い。

その点を整理せずに盲進してしまうため、「作品性の高い文章を書く人間は、コミュニケーションにも長けている」と錯覚を起こしてしまうのです。もちろん、両方の能力を兼ね備えた人も中にはいます。そのような人の方が圧倒的なマイノリティであることを忘れてはいけません。相手の言葉にうまく反応できなかったり、相手を傷つけてしまったり、誹謗中傷の矢が自分に飛んできた時に自分をコントロールできなくなってしまう。「目立ちたい」という一心で、多くの人を巻き込んでも「目立った後のこと」を考えておらず、周囲の心ない言葉に深く傷つく人もいます。

文章を書く人の多くは「深さを追求できる人」で、このnoteという街にはそのようなタイプの人がたくさん集まっていると考えてみれば、少しやさしい気持ちになれるのではないでしょうか。自分の能力を過信せずに、「ていねいなコミュニケーション」を心掛けることが水際対策になると思います。自戒を含めて。そのためにも上記で紹介したマリナさんの記事は読むことをおすすめします。僕も一つひとつ勉強していこう。

ごめん

オンラインカフェのレポートなのに、自論を述べてしまいました。それくらい、昨日のメンバーと過ごした時間は僕にとって「考えるきっかけ」をたくさんいただきました。

同じ言葉でも「設計書」と「エッセイ」では目的や文体は大きく変わります。メディアによっても、新聞、マガジン、パンフレットなどによって書くべき内容は変わってきます(本当はこのテーマのことをもっとたくさん書きたかった)。

マリナさんが学生時代、パネルディスカッションで同席したとある大物映画監督から受けた言葉の話。それ以来「感動した」という言葉(解像度が低い言葉)は使っていないというストーリー。たなかともこさんの外科医、研究者時代の「成果」と「心情」の葛藤。Micaさんの渡米を決断した話、マガジンの編集思考。ことふりさんの育児の話、「わかり合えること」の良さと「わかり合えないこと」の良さ。大きな時間軸で考えれば、全てを物語にできるし、贈り物にできる。

ダメだ。良いテーマがたくさんあって、それを一つひとつ焦点を当てながらもっとゆっくり話を聴きたい。もちろん日本のメンバー、まほさん、だいすーけさん、すーさん、千ちゃんとのかけ合いからも新たなテーマに移っていく。それはそれは〝素敵〟な時間で(「素敵」の佇まいが好きという話も)。

少し延長しましたが、とにもかくにも充実した回でした。「大きな出来事が起きた」というよりも、「次へのテーマとなる断片をいくつか拾った」というような印象です。この時間を布石にして、次の滋味深く豊かな「場」へと繋げていきたいです。

最後に

違う文化圏で過ごす人は自ずとコミュニケーション力がつくのかもしれません。それぞれが一人ひとりの意志を尊重しながら、上手に相手の話を聴く。

ずっと会いたかった人たちだったので、その喜びは一入で。マリナ油森さん、たなかともこさん、Micaさん、ことふりさんの印象は「明るい」。真面目なテーマでも、他愛のない話でも、話し出すとパッと雰囲気が明るくなります。それぞれがめいめいの事情でアメリカへ渡り、暮らしているわけですが、「国境を越えて生活をする」という一歩を踏み出すことができるのは、その人の性質に深く関わるのかもしれません(もちろん後天的に習得していく気質も十分にあるとは思います)。全てのケースがそうであるとは思いませんが、この四名に限っては聡明さ、行動量、チャーミングさは共通する部分だと思います。

また、海外在住の方の時間に合わせたオンラインCafeBarDonnaを開いていきたいと思います。ご希望の方はお気軽にご連絡ださい。

みなさん、どうもありがとうございました。




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嶋津 / Dialogue designer
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。