おちこんだひとへ
僕は「落ち込まない人」よりも「落ち込む人」の方がいい文章を書けると思っています。付け加えるならば「落ち込んだところから這い上がった人」や「希望を見出した人」が人を惹きつける言葉を手に入れると思っています。感受性という「フラジャイルな装置」は、ふいに身体の中へ飛び込んできた小石を時間をかけて真珠に変える力があります。
その繊細な感受性は、時にあなたを苦しめるでしょう。あらゆる力には功罪が伴います。それはコインの裏表のように切っても切れない関係です。「いい文章は痛みの成果物である」と言い切ってもよいかもしれません。痛みの治癒によって生まれる〝かさぶた〟のようなものです。それは渋柿を熟成させて干柿にすることで果実が「甘くなる」ことと似ています。
だから、落ち込むことがあっても気を取り直してください。すぐには難しいかもしれませんが、それは書くために必要な養分です。とても大事なものです。落ち込んだ心は、言葉や物語を描くことによって浄化されたり、洗練されたりしていきます。心にある〝もやもや〟を言葉に落とし込むだけで、一つ前に進めます。そこから再出発できることもあります。
「落ち込んだ」渦中にいる人からすればずいぶんと無責任な言葉として響くかもしれませんが、僕は本当にそう思っています。きっとあなたはいい文章を書く人になると思います。
今のあなたに重要なことは現状から光を見つけ出すことです。希望は探せばどこかにあります。コンビニにあるかもしれないし、外国にあるかもしれないし、虚構の世界にあるかもしれません。きっと見つかります。
応援しています。この言葉が嘘にならないように僕もがんばります。あなたとは住んでいる場所も、置かれた状況も、向き合うべき課題も、何もかもが違うかもしれません。ただ、この文章を隔てた向こう側であなたと同じように闘っています。「一緒だ」と思うと少し気が楽になってもらえるでしょうか。
本当ならば「いい文章の定義」からはじめなればいけなかったのでしょうが、今の僕にはいささか時間がありません。また別の機会にお話したいと思います。今日のところは短い手紙で失礼します。
ぜひ、いつの日かあなたのお話を読ませてください。