自分を大切にしてください
新しい月を迎えた。
一月に抱えた疲れを労うように、今日はゆっくりと眠った。認識していたよりもずいぶんと疲労は溜まっていたようで、ベッドの上で泥となった。
毎月、月のはじめを迎えると“約束”をポストする。
日々、何かしらに一所懸命でいる人は自分をないがしろにしがちで。自分のことよりも他人のこと、周囲のことへと気と手足を使っている。その消耗には必ずしわ寄せが起きて、心身の調和を崩してしまう。これは対話でも同じなのだけれど、自分が満たされていなければ、相手のエネルギーを引き上げたり、循環を起こすことは難しい。まずは、自分を潤すこと。
一所懸命な人は、つい忘れがちになるので「自分を大切にしてください。今想像した20倍、自分を大切にしてください」ということばが入ってくるだけで意識化される。思い出したり、頭の片隅に置いておけることばであるといい。
これも、祈りの一つ。半年くらい前から続けているのだけれど、いつかこの祈りのポストが多くの人へ届く手紙のような存在になるといい。ことばにすると想いは実現するので書いておく。
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夕刻、Mo(l)istenをひらいた。
BGMはイマニュエル・ウィルキンスの『Blues Blood』。彼の音楽が好きで、よく選曲している。抽象画のような音色の重なりと響きは、内面に波を起こす。良い音楽はこころの内側へと働きかける。そして、その内面の反応にわたしは興味があるのだ。
カルトナージュの作家であるダンテルさんが遊びに来てくれた。彼女は、義父の入院の記録を書いたわたしの文章を読んでくれていて、そこから介護とケアの在り方について語り合った。口調は軽やかだけれどテーマは切実で、これからの世代の人には可視化されていない部分もある。ここでやりとりされるコミュニケーションは繊細で壊れやすい。家族だから救われること、他人だから救われること、関係性によって救われるものが違う。そのすべてに感謝できるこころの在り方でいたい。
ダンテルさんと話すのは久しぶりで、シリアスな話を互いが負担にならない気遣いのある軽やかなおしゃべりに元気をもらった。あらためて、すてきな人だと思う。
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夜は、鉄板で肉と野菜を焼いた。
昨夜、娘夫婦が孫を連れて家にやってきた。娘婿がふるさと納税で贈られてきた和牛を一緒に食べようと持って来てくれたのだ。あらかじめ多めに用意していた肉と野菜が余ったので、今日妻と二人で食べることにした。低温で焼いた肉のじゅわっとした音が美しい。みんなで食べるのも楽しいけれど、妻と二人きりで食べるのもすばらしいひとときだ。最も安心できるパートナー。
バカラのシャンパングラスに缶ビールを注ぐ。「物は器で食わせる」と言うが、いい器で料理を食べたり、お酒を飲んだりすると、それだけでおいしさがブーストされる。身体が感情の器だとするならば、良き器でありたいと思う。