〝日本の美意識〟 について思考した、まとまった時間。
今年に入ってから〝よく考える〟ようになりました。
きっかけは僕の運営している《教養のエチュード》というネットメディアでの記事作成のために取材した一件。
元日の夜に〝知の巨人〟のような人と話したことで、僕の中での何かが音を立てて切れたような気がしました。
〝日本の美〟について考えはじめたのは次に取材したこちらのイベント。
ここに登場する三人の庭師のお話が非常におもしろかった。
庭を作ることは、その土地の〝風土〟を知らなければいけない。
風土を知るには〝文化〟を知らなければいけない。
〝西洋の美〟を考えることは、同時に〝日本の美〟について考えることにも繋がるんですね。
ここから〝美意識〟が僕の中のパワーワードとなりました。
同時に〝日本の美意識〟を端的に現わす茶道について興味が注がれていきました。
僕は文章を書くことだけでなく、〝バーテンダー〟としての一面もありますのでもてなしの心や美しい所作という実践的な意味合いにおいても茶道は良き教材となりました。
※茶人と同じく、バーテンダーは五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に〝美〟を訴えかけるエンターテイナーでありながらアーティストだと思っています。
二月にクリエイティブディレクターの藤原ヒロシ氏の主催するパネルディスカッションを取材し、四月にアートディレクターの千原徹也氏のイベントを取材しました。
この時に僕の中で、あらゆる要素が同時多発的にリンクしはじめたのです。
それは連続的に着火される火薬のようなもので、バチバチと破裂音を立てながら、キラキラした景色が視界に広がる───といった具合に。
「これは言語化しなければいけない」
誰に頼まれたわけでもなく、僕は衝動に駆られました。
〝書くべきこと〟が明確にそこにあるのですから。
しかし、なかなか筆は進みませんでした。
〝ゴール〟は見えているのに、その間を深い霧が覆っているような感覚です。
「書きたい!」という気持ちは山々なのに、手がつかない状態。
構想の中では『藤原ヒロシ=利休論』と『千原徹也=織部論』は出来上がっていました。
利休と織部の対比から〝日本の美意識〟を描き、現代を生きる謎多きクリエイターの核心に迫る。
〝見立て〟を置くことでよりくっきりとした輪郭が浮き立つような気がしたのです。
「不明瞭であることが、質感を伴った時により伝わる」
これは日本人特有の曖昧さを利用した技法です。
あえて分かりにくくすることで、届いた時に明確に伝わる。
〝どっちつかずの表現〟が断定されるよりも相手に深く届く、という不思議な風潮があります。
「本題に入る前に整理しなければいけない」
そう思って書いたのがこちらの記事です。
日本の美意識が「侘・寂・萌」にある───。
同じことを言っている人は他にもいると思いますが、僕はその中に〝時間経過の揺らぎ〟という要素を入れました。
未熟な状態から完成形を経て老成するまでの揺らぎの幅───移ろいの中に〝美〟を観る、という。
この概念を先に説明しておかなければ、先へは進めません。
そこから何も書けない時期が二ヵ月以上続きました。
その間に《教養のエチュード》では数名の方に取材を行なってきましたが、記事は形になることなく滞る一方で。
その間、僕はひたすら考えました。
〝考えない〟という無駄を含めて、僕はずっと考えていました。
乱れるように舞っていた〝雑念〟が滓となり、静謐な状態になった時にはじめて書き始めました。
読んでいただけると、僕なりの〝答え〟のようなものが書いてあります。
〝書き始めてから書き終わるまで〟はそれほど時間は必要とはしませんでした。
何が言いたいのかというと、〝書く〟という行為に至るまでには大量の時間が必要となるということ。
で、その時間というのは辛くて辛くてたまらないのですが(誰に頼まれたというわけでもないのに)、終わってみると恍惚のヒトトキだったと気付くんです。
ネットの普及によって、〝表層だけの思考〟が増えました。
何かの問題に反射的に対応する。
とりあえずの〝答え〟を出して、考えた気になっている。
でも、僕は「考えること」の歓びはもっと深いところにあるんじゃないかな?って思うのです。
例えば、僕が〝日本の美意識〟というテーマを書き上げるのに八ヵ月という時間を費やしました。
これは自慢でも何でもなく(自慢できるような長さでもないですし)、深い思考に辿り着こうと思えば、それなりの時間を要するのではないでしょうか。
それは単に思考を整理したり、知識を仕入れたりするだけでなく、発酵させること───様々な要素を集めて成熟させる期間というものがあって然るべきなのではないか、ということです。
誰かの受け売りではなく、自分の視点から考えること。
名言のリツイートではなく、自分の言葉に置き換えること。
その中で豊かになっていく〝土壌〟が歓びという実りを与えるのではないでしょうか。
「考えること」って素敵です。
日々の文章ももちろん大切にしたいですが、それ以上に長期的なテーマを作り、「考え続ける」ということを継続していきたいと思います。
〝問題提起〟と〝新しい価値観の提示〟をライフワークとして。