Moisten(モイスン)
元旦は、朝さんぽからはじまった。
いつものさんぽコースの神社が、正月の装い華やかに設えられ、普段は人が疎らな境内が賑わっていた。いいものだ。拝殿前、鈴を鳴らして手を合わせ、新年のごあいさつ。子どもの声で明るい参道を歩き、いつもの公園へ。ここからまた一日がはじまる。
お節料理の重箱を積んで、義父の入院する病院へ車を走らせる。病室に入ると待ちくたびれた義父が車椅子に座りながら居眠りをしていた。風呂敷を解き、重箱を上から順に丁寧に開ける。艶やかで、色彩豊かな料理たちが躍るように並ぶ。毎年、義父がお節の重箱を買ってくれる。その小さな宝箱の中には、わくわくが詰まっている。
子どもの頃は、お節料理の良さがわからなかった。冷たくて、しっとりしていて、甘くて、しょっぱくて。ただ、三十代も半ばを過ぎた頃から、この冷たくて、しっとりしていて、甘くて、しょっぱい風味の魅力がわかるようになってきた。どれもひと手間かけて工夫が凝らされ、一つひとつにおめでたい意味が込められている。祈りと願いで構成されたハッピーフードなのだ。
病院の近くにある神社へ参拝すると、本殿から第一の鳥居まで行列ができていた。並んで待つことも醍醐味の一つだ。わたしの後ろはインド系の家族で、父親がインドの歌をそれはそれは美しく口ずさんでいた。境内でインドの音楽を味わう不思議な体験。列が進むと、途中で手水舎が見えた。参拝者は、後ろの人に「手水舎で手を洗って来ます」と断りを入れてから列から離れてゆく。わたしも例にならって、後ろのインド人家族に「手水舎へ行きます」と伝えると、ヒンディー語での音楽を口ずさんでいた彼が美しい日本語で「どうぞ」と返した。そこがハイライトである。
夜は娘夫婦が孫を連れてわが家へ訪れた。不思議なものだ。今までは実家や妻の実家へあいさつに行くしかなかったが、今ではわが家があいさつに訪れる場所になっているのだ。時代は変わってゆく。牛しゃぶ鍋とお節料理を楽しみ、孫へお年玉を渡し、最後はわたしのハンドドリップしたコーヒーを飲みながらケーキを食べた。正月はいい。何より妻が楽しそうだ。
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今日は、朝さんぽの後、仕事に取りかかった。インタビュー記事の原稿、ことばを整える。
今年から、Xのスペースの在り方を少し変えようと思う。今までは「対話パーティ」という名で、ゲストを一人迎えてのインタビュー形式で行ってきた。それを、入れ替わり立ち代わりのバー形式にしてみたい。コロナ禍以降、オンラインバーを開いてきたが、あの雰囲気で自由度の高い雑談に変えたい。
理由は、一対一のインタビューはYouTubeの『ダイアログ・ジャーニー』でコンテンツをつくっているし(音声ではVoicy『踊る対話パーティ』の方に「インタビューコンテンツ」としてアーカイブを残してゆく予定)、わたしの場合は日常がインタビューなのでXではもうやる必要がないと感じているため。扉を開けると偶然そこにいる人との出会いや物語に焦点を当てていきたい。わたし自身、二十代の頃はバーを営みながら実際にカウンターの中でバーテンダーをしていた。あの感覚や雰囲気が好きなので、スペースではそういう空間づくりができるといい。
ただ、オンライン上で知らない人の相手をするのは労力がかかるので、会員制というか、紹介制というか、ある程度の敷居を設けてストレスなく開ける状況をつくろうと思う。
バーの名前は何にしよう。
ダイアログ・デザイナーには“植物”や“庭”のイメージがあるので「Bar Botanical Garden(植物園)」 「Bar Botanical(植物由来の)」などが候補がいくつかあった。そういえば、昨日書いた記事で今年の抱負について語った。「潤う」がテーマとなる一年だから、その動詞となる「Moisten(潤う)」はどうだろう。わたしが対話の中で大切にしている「Listen(聴く)」と文字の配列が似ているところが好ましい。
Moisten
Listen
わたしは、Listen(聴く)して、Moisten(潤う)する人間。ちなみに「Moi」はフィンランド語で「こんにちは」という意味らしい。あいさつが入っているところもすてき。
Bar Moisten(モイスン)
「聴く」と「潤う」のあふれる空間に育てていきたい。
思いつきからの行動力は大事なので、さっそくBar Moistenを開いてみた。コーヒーのハンドドリップからはじまる。偶然にも、今年最初のお客さまはgo cafeのオーナー山本剛さん。店の在り方やコミュニケーションについて語り合った(アーカイブはこちら)。他にも誰かスピーカーとして入ってくるかと楽しみにしていたが、どうやらそれは後日のお楽しみらしい。
今年は相手だけでなく、自分に気を遣いながらノンストレスで対話の場づくりをしたい。