言語、思考、視点【Last Night オンラインバー vol.20】
polyrhythm
今宵のオンラインCafeBarDonnaはポリリズムでゲストの皆さまを迎えました。「ポリリズム」は拍の一致しないリズムが同時に演奏された状態であり、その音の波は独特のグルーヴ感を生み出します。そこに滞留することで、予期せぬ物語(潜在的な力)を引き出す。そのような「空気の研究」を続けています。
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〈空気の研究vol.4〉
【CafeBarDonna DJ Night】
音楽の流れるこのバーには、いつもユニークなメンバーが集います。今回はフランス、イギリス、アメリカ在住のメンバーが参加したことにより、言語やカルチャーがメインテーマとなりました。アフリカの民族音楽に包まれる中、みなで乾杯。「ポリリズム」という共通項を残しながら、「音の波」はナチュラルに印象主義音楽へと移ろっていきました。
言語
パリ在住の大森美希さんはファッションデザイナーとして20年間、海外で暮らしています。Balenciaga、Lanvin、 Nina Ricci、 NYではCoachでお仕事をされてきました。国によってそれぞれ異なる価値観やコミュニケーション、そして「美しさ」に対する感受性。それらにおいて、最も重要なことは「言葉」だとお話になりました。
ファッションデザインの仕事はチームによって行われます。魅力的なデザインをつくれば良いだけでなく、仲間とコンセプトを共有したり、意志を伝えることも重要な要素となります。クリエイティブの領域でも、コミュニケーションの領域でも、「言語」は欠かせません。
日本語と外国語の構文の違いによる影響は大きく、日本語のニュアンスで伝えると海外では考えがうまく伝わらないと言います。日本語は主語を省略したり、動詞が後の方に来るので、表現が曖昧になりクリアに伝わらない。主語、動詞が先頭に来る言語構文は明確な意志が現れます。
興味深い点は、小津安二郎や北野武などに代表される海外から見た「日本映画は余白が多い」という話です。受け手の想像に委ねる領域が大きい。それらは、「慮る(察する)文化」によるものではないだろうかという仮説が生まれました。
日本では「言われなくても動けること(察する力)」は、仕事ができる人の条件とされています。verdeさんのその指摘に深く頷きました。ヨーロッパやアメリカでは、「意志を伝えること」がその人へのリスペクトへと繋がります。その流れで、大森さんは「フランスの恋人たちはディベートが好きだ」と話されていました。加えて「間違いを認めない傾向にある」と。論理的な整合性で肉付けする力を幼い頃から訓練されているようです。
ただ、ヨーロッパとアメリカにも違いがあり、「ヨーロッパは歴史を重んじ、NYは新しいものを善とする傾向にある」という話も印象的でした。その違いは「深み」という言葉(印象)で表現できるかもしれません。アメリカは商業的であり、ヨーロッパはコンテクストに敬意を払う。カンヌ国際映画祭とアカデミー賞を見比べてみるとその違いは顕著に現れます。
余白を埋めるものは想像力であり、思考力です。フランスで日本映画の評判が良い理由は、余白に対するアプローチが似ているのかもしれません。「難しくてわからない」と投げ棄てるのではなく、本質的に「考えること」に価値を置く。浮世絵が印象派の画家たちに好意的に受け入れられたことを含め、美的感覚や趣向へも重なる部分が大きいのかもしれません。
「ただ、日本人とフランス人のコミュニケーションは全く違う」と大森さんは言います。ディベートの件からもわかるように、フランス人はたくさん話すし、ロジカルで話も巧い。だからカフェでのサロン文化が育ったのだ、と。カフェに入ると、彼らは「対話」を繰り返して、思考を磨いていく。「サルトルとボーヴォワールの関係性を思い出す」と答えたタカーシーさんが印象的でした。
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思考
みなさんの話を聴きながら、「言語を習得することは、思考様式を習得することと同じ意味かもしれない」と感じていました。「どの言語で話すか」は「いかに考えるか」と深い関係性にあります。つまり、日本語でモノを考えながら、断定的(あるいは批評的)な伝え方は難しい。ドイツ語でモノを考えながら、相手に察してもらうような曖昧なニュアンスは表現しづらいでしょう。
フランス語だと深く理解しやすい領域、日本語だと腑に落ちやすい領域、英語だと感情を想起しやすい領域、など言語をシフトすることで、伝わり方(理解)の深度や優位は変わるのではないでしょうか。新たな言語を習得すれば、新たな思考様式を習得できて、理解できる領域が拡張される。
大学院で西洋哲学とジェンダーを研究してきたタカーシーさんは、言語と思考の関係性を「サピア=ウォーフの仮説」で説明してくれました。
思考と発話とが相互依存することからわかるように、言語は、既成の事実を捉えるための手段というよりも、未知なる真実を見つけ出すための手段である。その多様性は、音声や記号ではなく世界観の多様性なのだ。
新たな言語を獲得することは「言葉を理解する」ということだけでなく、新たな考え方で世の中を眺めることができるのかもしれません。インプットが変われば、当然、アウトプットも変わります。そう、「言葉が変わる」という表面的な意味ではなく、その奥にある「思考の進化」がクリエイティビティやコミュニケーションに大きな影響を与えるはずです。
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視点
大森さんは日本、フランス、アメリカでそれぞれ暮らしました。その都度、新たな言語を獲得し、それと同様に思考を獲得していった。ヨーロッパとアメリカの違い(傾向)を語る時、彼女は誰よりも客観的な視点を持っていました。日本人である彼女が、それぞれの国で生活をした。内側の世界を本当の意味で知るためには、外側からの視点を手に入れる必要があります。誰よりもフラットに違いについてを観察することができます。
「自分が何人だかわからなくなる時がある」と大森さんは言いました。日本人だけれど、20年間ずっと海外で暮らしている。日本に帰った時に「日本人として」受け入れられるのかわからない。例えば、同じファッション業界で働いたとしても「大森さんはフランス人だからね」と言われるような気もする、と。
そう考えると、非常におもしろく感じます。フランスにいながらフランス人ではなく、英語を話していたとしてもアメリカ人でもなく、日本で生まれ育ったとしても日本人でないような。軸を三つ持っていることで、その中央に「大森美希」が浮かび上がる。それぞれの領域を足場にしながら宙に浮いているような状態。
複数の視点を自分の中に持つことで、矛盾や差異を柔軟に受け入れる。「自分は何者か?」という意識と、濃厚な独自性が共存する。複数のバックグラウンドを重ねることで、アイデンティティはよりクリアになっていく。それは強みに他なりません。「外を知れば知るほど、日本をより知ることにつながります。海外から見た世界での立ち位置を含めて」と言って締めた大森さんの言葉が印象的でした。
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groove
言語・思考・視点をキーに本日の120分をまとめました。話題はファッション、コロナウィルス、言葉の力、と移ろいながら濃淡を見せます。異なるリズムが重なり合って、グルーヴを生み、いつもとは異なる思考の領域へと旅をした気分です。その小旅行は、行く先々で「ヒント」のようなものを与えてくれます。
音楽を選曲・作曲したDJのカジサキモトキさんは、Coachでの話の際に即興でその音楽をセレクトしていたそうです。「対話」のムードに合わせ、ルーツを辿りながらリズムを重ねつつジャズ、ブルースと曲を選び、アンビエントのエッセンスをまぶしてくれました。
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gyre
それは環流を生み、心地良さとインスピレーションを届けてくれます。この音と潮の流れにうまく乗せて「対話」に惹き込むことができれば。輪になって語り合うように、スペシャルな時間を共有できる気がしています。
いくつかの課題と発見を獲得した「空気の研究」。今後もよりくつろげて、よりなめらかであり、よりクリエイティブになれる「場」をつくっていきたいと思います。お集まりいただいたみなさん、どうもありがとうございました。
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【Members】