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「教養のエチュード賞」開催

あなただけ今晩は、文筆家の嶋津亮太です。

この度、「教養のエチュード賞」というコンテストを開催することにしました。とても能動的なお話です。

このコンテストに応募していただけると、その中から僕が選考して一名に一万円をお贈りします(noteのサポート機能から)。とても個人的な賞です。人に自慢できるものではないかもしれませんが、一万円は手に入ります。それを使ってあなたの好きなものと交換してください。

追記(10月2日)
写真家・アートディレクターのワタナベアニさんから一万円のサポートをいただきまして賞金が倍の二万円になりました!


追記(10月4日)
佐藤らかさんからサポートをいただきまして賞金が二万千円になりました!


追記(10月10日)
岩代ゆいさん、あきらとさん、ひらやまさん、宿木雪樹さんのサポートにより賞金の総額は二万四千円になりました。

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コンテストの開催理由を手短に説明します(とは言いながらも少し長くなるかもしれません)。
コンテストコンプレックス
という言葉があります。大賞を獲得した作品よりも自分の作品の方がどう考えても優れて見えてしまい、コンテストを通して、自意識と社会のずれに苛まれることです。

「どうして選ばれない?」

僕にもありました。一時期、僕は毎年の恒例行事のようにとある童話賞に応募していました。童話が好きだし、何より新美南吉が大好きだし(それを書くと何の賞か分かってしまう)、僕にはそれを書く才能があると思っていたから(自意識)。
文脈上、当然の流れではありますが、僕が選ばれることはありませんでした。応募した時の高揚感と審査結果が発表された時の虚脱感の落差。何より、「佳作にさえ選ばれない」という敗北感。大賞(最優秀賞)に選ばれた作品を読んでも引けを取らない……いや、「何なら勝っているだろ」という歪んだ闘争心と虚無感(自意識)。
これが典型的なコンテストコンプレックスです。書きながら気付いたのですが、コンテストコンプレックスという言葉は実在しません。僕が今つくりました。


そしてこの度、「教養のエチュード賞」というコンテストを開催することにしました。とても能動的なお話です。

今思えばどうってことない話です。僕の書いたものと選考委員の価値観が合わなかっただけの話です。落ち込む必要はありません。仕事をしていればそんなことは山ほどあります。

全て想像で話しますが、権威ある賞が選ばれる時って膨大な忖度が生まれると思うんですね。選ぶ方も「これ選んだらバカだと思われるんじゃないか?」とか、選ばれる側もその賞に対する傾向と対策を練ったり。お互いが答え合わせをするような形としてのクリエイティブになりがちで。権威が強くなればなるほどその想いは強くなる(もう一度いいます、あくまで想像です)。
確かにその道それぞれに天才はいますし、基礎体力が桁違いのモンスターみたいな人はいます。そういう人たちの枠を超えたおもしろさや、圧倒的な技量には敬服します。大好きです。

じゃあ凡人は傾向と対策を練ることしかないのか?
答えは「そう」なんですきっと。それが嫌ならば、コンテストとは距離を置いた場所で生きた方が楽だと思います。別の方法でたくましく生き抜き、世の中で評価されている人を僕はたくさん知っています。

傾向と対策を練ることができないコンテストだったら全員が枠を外した表現ができるんじゃないの?


それが僕の気持ちです。天才も凡人も関係なく、自由な発想で文章を書けるコンテスト。誰だかよくわからない人に向けて、好きなように書いてほしいのです。
選ばれなくても落ち込む必要はありません。「だって、あなたのことなんて全く知らないのだもの」と思っていただければ幸いです。

記事が「選ばれる、選ばれない」は優劣ではありません。
僕の個人的な趣味や、理解力と偶然マッチした記事が選ばれているだけの話です。とても個人的な賞なのです。


この賞が、文章を書くモチベーションのきっかけになったり、コミュニケーションのきっかけになればと思っています。
じゃあ僕に何の得があるのか?
僕の「好き」を探したいという気持ちです。日々の忙しい生活の中で、ついつい知っている人の文章ばかり読んでしまいます。それだけでは自分の「好き」はその枠から抜け出ることはありません。
このコンテストに応募するということは、ある意味、僕への手紙だと考えることができます。宛先のある手紙には、読む責任が生まれます。
それらの手紙を読む中で、自分が何に「好き」と思うのかを探っていきたい。それが自分の新しいクリエイティブな何かに繋がるだろうなと想像しました。
きっとそこには一万円以上の価値があるんですよ。


やっぱり説明が長くなってしまいました(ゴメンナサイ!)。
それでは、応募要項です。


応募要項


▼ 募集作品▼
2000~5000字くらいの文章(写真をつけていただいても構わないですし、筆が乗ってきたとしたら5000字を超えても構いません。それがプラスに働くこともありますし、マイナスに働くこともあります。トータルの魅力として判断します)。
小説でも、思考の記録でも、インタビュー記事でも、ドキュメンタリーでも形式は問いません(あまりに詩的なものだと難しいかもしれませんが、僕の理解力が及ぶ範囲ならば何でもOKです) 


▼応募方法▼
①このアカウントをフォロー(嫌であればしなくても構いません。ただ、フォローしてもらえると僕がルンルンします)
② ハッシュタグ#教養のエチュード賞をつけて投稿
➂応募できるのは一人一記事まで(「前よりもっといいnoteが書けた!」というのであれば、追加して応募しても構いません。むしろ応募してください)

※僕がそのnoteに「スキ」をつけたら「見ましたよ」の合図です。



▼コンテストスケジュール▼
応募締切:2019年10月1日~10月31日23:59まで
結果発表:11月予定

※この期間(2019年10月)に投稿されたnoteに限ります。

追記(10月9日)
応募は2019年10月中の投稿でエントリーとなります。過去に発表された作品でも可能ですが、あえて「今月中に」という枠にしたのは、応募する際にこの賞が改めて作品を見直すきっかけになれば、という想いによるものです。
お手数ですが、改めて投稿しなおしていただけると有難く思います。



▼教養のエチュード賞▼
グランプリ(一名)には賞金一万円(noteのサポート機能から)
佳作はnoteは結果発表の際に感想を述べながら紹介していきます。

追記(10月2日)
賞金は二万円です!
追記(10月4日)
賞金は二万千円です!


追記(10月10日)
▼教養のエチュード賞グランプリ▼
グランプリ(一名)には賞金二万千円(noteのサポート機能から)

▼副賞▼
準グランプリ(一名)には賞金三千円(noteのサポート機能から)

▼プリマドンナ賞▼
選ばれた一名に、僕がインタビューして記事を書きます。


追記(10月10日)の詳細はこちらです。




ちなみに『教養のエチュード賞』の名前の由来ですが、僕の運営しているメディア「教養のエチュード」が元です。

教養とユーモアはあなたの人生を豊かにしてくれます。
「エチュード」とは、音楽の世界では「練習曲」、絵画の世界では「下絵」という意味。
この一時間が、あなたの人生を豊かにする、そんな「習作」になれば、と想っております。

上の文章は、僕が五年間続けているラジオ番組の前口上です。
書くことや読むこと、話すことや聴くことは、考える練習。そのエチュードが豊かな生き方に繋がればという想いが込められています。


みなさん、お気軽にご応募ください。
日々のnoteの延長線上にハッシュタグをつけてもらうような感覚で。これは、とても能動的なお話です。noteだからこそできる企画ですよね。

このnoteも拡散していただけるとうれしいです(^o^)/



追記(10月21日)
R.S.さん、匿名さん、池松潤さん、池下敦子さんのサポートにより、賞金総額は二万九千五百円となりました。

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追記(10月27日)
みつるさんのサポートにより、賞金総額は三万円となりました。

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「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。