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覚えられない名前

義父が入院する病院で、義父にリハビリ友達ができた。

施設の中のレストランで談笑しながら、食事を共にしているという。友達は二人。一人はTさんという50代の男性。先日、義父の部屋に招きコーヒーを淹れておもてなしたした人。もう一人は、Tさんと同年代の歯医者さんらしい。

この前、義父がリハビリを受けているところを妻と一緒に遠巻きに見ていたのだが、眼鏡をかけた男性が廊下の向こうからやってきて、車椅子に座る義父の前を通りかけた。すると義父は、その男性に向かって手を差し出した。ハイタッチの合図だ。男性は微笑みながら、義父の手にタッチした。その二人の朗らかなやりとりがすてきだったので、リハビリを終えて部屋に戻った義父の足をマッサージしながら、わたしは義父に訊ねた。

「義父さん、リハビリ中にハイタッチしていた人は誰ですか?」

すると義父は、眉をひそめて「そんな奴おったかなぁ……」とつぶやいた。「ほら、車イスから立ち上がる練習をしていた時に、眼鏡をかけた男性とすれ違ったでしょう?」と言うと「すれ違っていない」と答える。至って真面目な表情である。「いや、お義父さんから手を差し出していましたよ」と言うと「そんなことはしない」と濁りのない瞳をこちらへ向けて答えた。後々わかったことなのだが、その男性こそがリハビリ友だちのもう一人の男性だったらしい。

義父、Tさん、その人、この三人が仲良しなのだという。来週、二人を義父の部屋に招き、コーヒーを一緒に飲もうという話になったらしい。もちろん、コーヒーを淹れておもてなしするのはわたしの役目。わたしに足を揉まれながら義父は「みんなで楽しめるように甘いものをみつくろってくれ」と妻に話しかけていた。ささやかな対話パーティだ。

「で、お義父さん。その歯医者さんの名前は?」と訊くと、また眉をひそめた。どうやら思い出せないらしい。ベッドの上でマッサージを受けながら天を見つめている。白髪に、伸びた白髭、青みがかった瞳、深く刻印された皺、その佇まいは哲学者のそれそのものである。

「じゃあ、明日また来るからその時教えてくださね」と言ってわたしたちは帰宅した。それが二日前の話。

昨夜もいつも通り、妻と義父の部屋に訪れた。

その日も義父の足を揉みながら「そうそうお義父さん、ほら、来週コーヒーでおもてなしするお友だち、Tさんとあともうお一方、お名前何でした?」と訊いた。すると義父は眉をひそめて宙を見つめた。思い出せないようだ。

「え、でもお義父さん、一緒に食事しているんですよね?」

「うん、今日も三人で食べた」

「その時は名前呼んでいるんですか?」

「うん、呼んでる」

「何ていう名前ですか?」

「何ていう名前やったかなぁ…」

義父の頭がぼんやりしているわけではない。確かにひと月前はどうなることかと思ったが、リハビリの成果もあって義父の思考回路は今や手術前と変わらないほど明晰だ。眼鏡の彼の名前を思い出せないことを除いて。思いがけず噴き出してしまった。名前を覚えることができない側よりも、名前を覚えられない側の方がずっと気の毒だ。そこには、名前を覚えられない確かな理由があるのだろう。来週、Tさんと記憶に残らないその人を迎えて一緒にコーヒーを楽しむ。

なんだかよくわからないが、わたしのこころを掴んで離さない不思議な話。



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嶋津 / Dialogue designer
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。