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1000文字の手紙〈ことふりさん〉
ことふりさん、この度は第三回教養のエチュード賞にご応募いただきましてありがとうございます。
今回のことふりさんの作品を読ませていただき、前回の応募作を思い出しました。家族について書いた時のことふりさんは、計り知れない力を発揮しますね。それは単純に、「あたたかい家族像」とか「ゆたかな愛情」とか「固い絆」とか、そういったものではなく。
どこか淋しくもあり、微かな悔やみがあり、迷いがあり、長く尾を引く孤独がある。それらのエッセンスが、愛情をより豊かに、慈しみをより奥行きのあるものに、壊れやすく繊細なものとしてかがやきを放ちます。
それは、チョコレートに包まれたリキュールのようで。口の中に華やかさと、ほろ苦さと、微弱な刺激が広がり、鼻の奥へ抜けていくフルーティーな香り、そして余韻長く残る仄かな甘み。複雑でありながら、口の中、こころの中、身体の中で溶けていき、一つになる。
ことふりさんの文章は、まさしく「体験」だと、そう感じました。
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いい文章を読んだ時は、ことばを失うもので。
胸の中に、いくつかの色彩が残ります。それが穏やかになっていくこともまた、読み手としての楽しみの一つです。
説明しようとすると、すべてが消えてしまいそうで。それはしたくないんです。この、こころに湧き起こった感情を大切にしたい。渦を巻いた色彩がゆっくりと降りてくる時間。滓となり、静寂が訪れるまでの時間。そして沈黙の時間。
その時間がどこまでも愛おしく。ぼくの中の様々な感情が泡立つようにさざめくのです。
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愛することが下手な人がいます。
紛れもなく、「愛している」のに、それが伝わらない。「伝えること」の難しさ。「伝わること」の喜び。それはぼくの中でも、手の届く範囲の誰かの中でも、当たり前のように存在しています。
そしてまた、上手に愛を受けた人が、同じように上手に誰かに愛を渡すことができるのかというと、それもまた別の話で。愛を渇望した人が、広く深くの人に会いを届けることもあるわけで。
いろんな形の愛があり、いろんな形の関係性がある。
それをどうしつらえていくかは、その人自身によるもので。人に変えてもらうことはできず、自分が気付き、自分の意志で変わっていくことしか方法はなく。ぼくは、日々、その鍛錬をしています。ことふりさんの中にある大樹の、端っこの枝葉に重なったような気分です。それは、それは、うれしくて。
この度は、素敵な作品をありがとうございます。
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