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恐怖の在りか

とあるウィスキーのテイスティングイベントに参加したことがある。あるシングルモルトの限定版が公開されるということで、愛飲家を招きパーティがひらかれた。一般的なシングルモルトラバーから、プロのバーテンダーまで幅広いゲストが集まった。六人掛けの円卓がいくつか用意され、その上にはステムの長いテイスティンググラスが並ぶ。グラスはリッド(蓋)が置かれ、静かな色気を閉じ込めている。

スタンダードから熟成年数の長い高級品、そして今回ローンチされる新作のウィスキー。明るいブラウン、透き通ったブラウン、夕闇のブラウン、祝祭のブラウン、一つひとつ異なるキャラメルのように甘くきらめいた樽の色味にうっとりとする。

わたしの隣席には、ある県の名の知れたバーテンダーが座っていた。彼は、友人(おそらく同業者)と共にこのイベントに参加しており、ウィスキーをテイスティングしながら共に品評していた。すると、スピーカーから音が聴こえた。パーティルームの正面にはステージがあり、そこで主催者が挨拶をするらしい。ゲストに向けて感謝のことばを述べ、テイスティンググラスに入ったウィスキーのキャラクターを手短に紹介した。「ただ、このテイスティングにはある仕掛けがあります」と主催者は言った。ゲストの前に並ぶグラスには銘柄が記載されていない。色味や風味の印象から、どのグラスがどの銘柄であるのかを推測する。ちょっとしたゲームがはじまった。

既にわたしたちはおおよその見当をつけていた。早い段階で品評を終えていた隣席の彼の表情には余裕が浮かんでおり、酒も加わってか少し声が大きくなり舌がなめらかになっていた。主催者が解答を順に述べていった。すると、突然隣席の彼が悪態をつきはじめた。どうやら、彼の予想が外れていたらしい。「おい、嘘だろう。これはどう考えても18年ものではない。ちょっと待て、新作はこっちなのか?やっぱり、これは違うだろう。おいおい、デタラメなんじゃないのか」。具体的な表現は割愛するが、宛先の未確定な罵りはこよなく饒舌だった。

外したことが恥ずかしかったのだろう。あと、酒が入って少し感情的になっていたのかもしれない。とにかく舌が回る。わたしが見とれていると、彼の友人と目が合った。そこで、挨拶がはじまり、会話が生まれ、当然の流れで彼とも挨拶をすることになる。わたしは名刺を渡して「あなた様のことは存じ上げております」と親しみを込めて伝えた。すると、先ほどまで汚いことばで悪態をついていた彼は、瞬時に振る舞いを正した。整然としたことば遣いに、明るさをたたえ落ち着いた声でわたしに挨拶をした。

筋肉の動きによって、仕事用の振る舞いを再現したのである。それは、“訓練された丁寧さ”であった。わたしが感じたのは、エレガントさではなく、恐怖だった。訓練によって、いとも簡単に本音を隠すことができることへの恐ろしさ。本当に“人が変わった”のかと思った。彼はわたしに酔いさえも感じさせなかった。ことばだけでなく、表情も、声のトーンも、醸すムードまでも一変させてしまったのだ。海底を泳いでいたはずの蛸が、いつの間にか岩場に同化してしまったように。

恐怖の在りか。流暢に口汚く罵る彼に対してではなく、一瞬にして普段の振る舞いへとリカバリーした彼に対して。訓練によって人は変わることができる。同時に、訓練によって人は隠し通すことだってできてしまう。



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嶋津 / Dialogue designer
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。