monochrome diary
モノクロ・ダイアリー
気だるい暑さ。汲んできた水をケトルに注ぐ。レースカーテン越しの光の束は、花瓶に挿したユリの花の輪郭を光で包んだ。タンザニアの深煎りにローストしたコーヒー豆、真鍮のメジャーカップでじゃりんじゃりんと採掘し、ミルで粉砕する。エレガンスな炭鉱夫のようだ。オニキス、ブラックサファイア、夜の帳、ブラック・ベルベッド、クロアゲハ。世界中から「漆黒」を掘り起こす。
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「Le noir est une couleur(黒は色彩である) 」
1946年、マーグ画廊で開かれた展覧会にマティスはルオーを誘った。ルオーの〝黒〟は闇や影を表現するのではなく、一つの色彩や光として瑞々しく描かれた。
「黒に五彩あり」
「朦朧体」と呼ばれるオリジナルな没線描法を編み出した横山大観は、水墨画で多彩な〝黒〟を描いた。
「I’ outre – norir(黒の向こう)」
「黒の画家」として知られるピエール・スーラ―ジュは、黒の中に光の輝きを見出した。
陰と陽、森羅万象、モノクロームの世界には全ての色彩が呼吸している。
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ホワイトリリー
花びらの白い色は、恋人の色。懐かしい白百合は、恋人の色。入道雲、雷鳴、黄金色の夕立。夏になるとふと口ずさむ。名曲というものは往々にして短いものだ。青空の澄んだ色は、初恋の色。
ブラックコーヒーにドロップするミルク。白磁の器の中で渦が生まれる。部屋を満たしたユリの香りに、コーヒー豆のビターローストが溶けていく。
ユリとコーヒーの香りの溶け合ったリビングで、「瞬間」に対する愛おしさについて書いた。「いのち」のこと。少しセンシティブだったかもしれない。言葉に希望を込めてタイピングした。その「瞬間」は二度と還らない。
闇の中で光を見出した話は、モノクロ―ムの記憶の一片へと消えていった。
あたたかいメッセージがたくさん届いた。うれしくて、うれしくて、その言葉たちを何度も味わいながら、胸の中にそっととじた。コンテスト用に投稿した記事だけれど、ピリオドを打って、次へ進む。今日もまた、新しい一日がはじまる。僕は、「今日」を生きている。この「瞬間」が愛おしい。
モノクロームの人生はあまねく色彩が呼吸している。
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。