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埋まらない空洞

助手席で、スマホの画面を眺めている妻。

液晶には、正月に撮った家族の記念写真。妻と、わたしと、娘と、娘婿と、孫。指でピンチアウトして引き伸ばし、一人ひとりの表情を確認する彼女の顔は微笑みをたたえていた。本当に家族が好きなのだろう。その“本当に”には「嘘偽りなく」でなく、「純真なものとして」という意味が込められている。彼女は、本当に家族が好きなのだ。

彼女のこころには常に“寂しさ”がある。その寂しさには、孤独や悲哀が宿っていて、わたしと共に過ごしている時間でも、ふとした時にその恐怖が押し寄せてくる。わたしはそれを抱きしめて「心配する必要はない」と溶かしてゆく。ゆっくりと、それは安堵へと変わる。早朝の日差しのように、安堵はやわらかく、穏やかで、あたたかい。東の空に五色の光が交わるように、寂しさが溶けてゆく温度の移ろいを感じながら、彼女の“寂しさ”について思いを馳せた。

彼女は日本一の卓球選手の母と繊維商社に勤める父の間に生まれ、一人娘として大切に育てられた。生き物と植物が好きな子どもだった。近所で捨てられた犬や猫、羽を傷めた小鳥がいると必ず家へと持ち帰り、父親に「元の場所に返してきなさい」と言われて毎回泣きながら返しに行った。母は自分と同じように娘を卓球選手に育てるために、まだ身体の小さい彼女にラケットを渡した。彼女は母の期待に応えるために、日々卓球に打ち込み、国体に出場するまでに腕を磨いた。ただ、そこには埋まらない空洞があった。母は卓球を愛していたが、娘は卓球ではなく母を愛していたのだ。そのことに気付いた時、彼女はラケットを手放した。

父もまた彼女と同じ気持ちにもどかしさを感じていた。母の眼差しはいつも卓球に注がれていた。決して愛情が薄かったわけではない。ただ、母は宙に跳ねるピンポン玉を追うことで、青春の只中にいることを実感できたのだった。母の人生の在り方をすべて受け容れた父は、それを自分だけのものにしようとした。愛と情熱に満ちた家庭の中で、彼女は寂しさを抱えながら生きて来た。

先日、とある女性をインタビューしていた時のこと。突然、隣で話を聴いていた妻が話しはじめた。それは、卓球に打ち込んでいた時代の彼女の挫折と葛藤について。暗闇の先で、彼女はわずかな光を見出した。人生には選択肢が幾つもある。最初に手にしたものがすべてではない。確か、そのような内容だった。わたしがインタビューしていた女性は、妻の知人でわたしに紹介してくれた人だった。彼女は十代の頃にメジャーレーベルでアーティスト活動をしていて、今は別の人生を歩みながら日常を味わい直しているところだった。五時間ほど三人で対話して、その女性と別れた後に妻は言った。

「なんかね、あの子の気持ちが自分とすごく重なったの。だから、あなたに話を聴いてもらえば、きっと彼女は救われると思った」

わたしは黙って妻の話を聴いていた。

「インタビューの中であなたがとある質問をした時、彼女のこころが泣いたのがわかった。なぜわかったのかというと、彼女のこころが泣いたことで、わたしのこころも同じように悲しくなったから。もちろん、あの質問が彼女を傷つける内容だったとは思わない。でも、あの時、確かに彼女のこころは泣いたの」

窓の向こうで、ぽつぽつと雨の降る音がする。

「だから、わたしは自分が卓球をしていた頃のことを話したの。たくさん、たくさん。もしかすると、話の内容はずれていたかもしれない。でも、わたしは話しながら気付いたの。わたしの中にある“寂しさ”が何だったのか」

わたしは頷きながら、妻のことばを待った。

「でも、よかった。彼女、あなたと話をしてすごく気持ちが軽くなっていたから」

正月に撮ったわたしたち家族の写真を見ながら、きっと妻はそこに幼かった頃の自分を投影していたのだろう。埋めようとしても埋まらなかった空洞。それを、新しい家族で埋めてゆく。彼女は、本当に家族が好きなのだ。

「彼女がいなくなったら、わたしはどうするのだろうか」

助手席に座る妻の横顔を見ながら、わたしはそう思った。祈りや願いを込めた彼女の思い描く家族を、わたしは大切にしたい。

父の入院する病院へと車を走らせた。





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嶋津 / Dialogue designer
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。