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溶けて、消えて、なくなって

ことばの力を高めるための方法を、なんとなく考えたりする。

その一歩目は、「自分で決めること」なのだと思う。どんなささやかなことでもいい。自分で考えて、決断する。「決まりごとだから」とか「誰それに言われたから」とかではなく、自分で決める。

ランチのメニューも、観たい映画も、話したい相手も。もっと言うと、起きる時間も、出社する時間も、頼まれた締め切りも。あらためて考えて、自分で決めてみる。

一つひとつを問うてゆくと、日々の暮らしは考えなくとも過ごせるようにデザインされていることに気付く。誰かが決めた規則の中で、わたしたちは生活している。「自分が決めた」と思っていることでも、他人のルールに当てはめているだけだったり、AIのアルゴリズムが提示してくれている中から選んでいるだけだったりする。

考えなくても、生きていける。その方が楽だったりする。与えられたものを消費するだけの人生も悪くはない。ただ、ことばは力を失ってゆく。

それが当たり前になると、人は自分で決めることができなくなってゆく。

自分の判断ではできないけれど、他人の判断ならためらいなく行為に移すことができる。それは、こわいことだと思う。その昔、「上の人から命令された」という理由で、多くの民族の命を奪った人がいる。決断に対して、疑問さえ抱かなかったという。

「信頼している」という感覚を言い訳にしてはいけない。信頼しているからといって「考える」を放棄してはいけない。自分の頭で考えて、決めること。判断できないのは迷っているのではなく、責任を取りたくないだけなのだと思う。自分で決めるということは、責任を持つということだから。

ことばの力は、責任で磨かれる。
まずは、自分で決めること。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。