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人生とは、予定不調和の物語
凛烈たる朝、気品すら感じる。
やわらかな陽のひかりを浴びて、朝さんぽ。極上の空気を肺に入れ、全身に真っ赤な血液を巡らせる。味噌汁をいただき、床磨き。冬の朝は、こうしてはじまる。
原稿を書いて、昼前に娘の家へ。孫の世話を任される。潤いに満ちた肌は甘やかで、表情は生命力に満ちている。鈴の音のような声は、芯が通っていて透明感に包まれており、高くも聴こえるし、低くも聴こえる。とにかくその音色が心地よい。すばらしい芸術作品だと思う。
妻の膝の上で寝て、そのままベッドインベッドで眠った。寝息を聴きながら、原稿を書く。空間には隅々までいいムードが漂っていた。そこに入れば、否が応でも癒されてしまうような、そんな空間。動物たちが集まり、陽だまりのもとで各々が寝ているような安らぎ。
先日の東京出張に、久々に一眼レフカメラを持って行き、インタビューした人たちを撮らせてもらった。人を撮るのは楽しい。対話が盛り上がれば尚のこと。もともと写真を撮るのは好きだったけれど、持っているカメラが重量のあるもので「撮るぞ」と気合を入れた日でなければ持ち運ぶことはなかった。ただ、すべての営みは日記的になってゆく通り、その写真もまた日記的なものとして記録したいと思うようになった。毎日カメラを持って、こころが動いたものを写し出したい。
日記が感性をひらくように、写真もまた己の感性をほぐしたり、潤したり、鋭くさせたりしてくれるだろう。表現というよりも、あくまでも日記的なものとして。
*
夕刻、Mo(l)istenをひらく。
BGMはGabrielsの『ANGELS&QUEENS』。繊細でありながら、ソウルフル。音の重なり、構成も心地良く、ラグジュアリーな気分に。この二、三日で出会った人との対話から学んだことを話した。いろんな人の人生を聴かせてもらうが、誰しもに大きな転換期は訪れる。それを「チャンス」と呼ぶのかもしれないし、「運」と呼ぶのかもしれないし、はたまた「必然」と呼ぶのかもしれない。人生の物語が、大きく変わる瞬間。早い人もいれば、遅い人もいる。ただ、それが“いつ”なのかは神にしかわからない。
わたしたちにできることは、そのタイミングが訪れる時のために下準備をしておくだけ。飛躍に必要となる九割は、下準備なのだ。
今、悩み苦しんでいる人が一年後にはドラマティックに人生を展開させて、思いもよらない芳醇な日々を過ごしていることもある。一方で、今、幸福の只中にいる人が一年後にすべてを失っていることもある。こればかりは予想がつかない。人生とは、予定不調和な物語なのだから。
ならば、自分にできることは何だろうか。
希望を抱きながら、日々を豊かに味わい、楽しみながら生きること。今よりも爽やかな未来を思い描き、そのためにできることを考え、一つずつ試してみる。きわめて凡庸だけれど、その積み重ねしか自分の意志でできることはないのだと思う。
それをどう受け止め、どう解釈し、何を選ぶのかが、その人のスタイル(文体)なのだ。そして、その“不調和”を楽しむ遊びごころが、人生の醍醐味なのだとわたしは思う。
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