甘美な愚痴
うっとりするような愚痴を吐ける人になりたい。
世の中には“カッコ悪い”行為がある。その基準は、人それぞれの美意識によるものだから一概には言えない。その“カッコ悪い”行為で周囲を恍惚にすることができれば、それが一番カッコイイのではないかと思うのだ。一般的な「ナシ」を「アリ」に変えた瞬間、“概念”はお好み焼きのようにひっくり返る。
「カッコ悪いことはしない」と決めている人は多いが、「カッコ悪いことをカッコよくするには」を考える人は少ない。理由は二つで、「改善の余地がない」か「“あたりまえ”だと思考停止している」か。そこを突破するのが、モノをつくる人の姿勢だ。
たとえば、“愚痴”はどうだろう。一般的にはネガティブな印象があるので、カッコイイとは言えない。ただ、ユーモアを混ぜてエンターテインしたり、場合によっては文学作品にまで昇華してしまう人もいる。つまり、“愚痴”にも技術があるということ。磨けば、作品性は高まってゆく。
それも一つの答えかもしれない。しかしながら、わたしはもっとカジュアルな“愚痴”に憧れる。何気なく漏れ出た溜息のような。どこかさみしく、ちょっとだけかわいい、ほのかに甘く、うっとりする。聴いた人のこころが、わずかに軽くなる、甘美な“愚痴”。
技術もさることながら、センスも磨いてゆきたい。
恍惚の憂鬱は、人生のスパイスだ。
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