「できない」を「できる」にしてゆく
毎日、義父が入院する病院へお見舞いに行っています。
八月の一週目に入院してからですから、三ヵ月通っていることになります。十月の半ばに大きな病院からリハビリテーション病院に転移して、三週間が経ちました。
環境の力は偉大です。前の病院では、正直「もうダメかも」と思う瞬間が何度もありました。足の痺れによって歩行に違和感を覚え、背中の腫瘍(良性)を摘出する手術に踏み込んだ義父。手術は成功したものの、歩くことはおろか、自分の足で立ち上がることもできなくなってしまいました。今考えると薬の影響が大きいのですが、義父の頭は朦朧として虚ろな瞳で「もうアカンわ…」とつぶやく日々。話している内容も断片的で、最後まで話し切ることができない状態。生きる意欲を失ってしまった義父を、傍にいることでしか励ますことができませんでした。毎日、足をマッサージしながら義父の回復を祈り続けました。
リハビリ病院に転移した途端、飛躍的に義父の心身は回復しています。顔も血色が良くなり、表情も豊かになってきました。さらには冗談まで口にして、軽やかに会話のキャッチボールができるまでに戻りました。
院内の理髪店で髪を切ってもらったらしく、その髪型があまりに清々しいので「お義父さん、ポールニューマンみたいですね。スーツびしっと着るスタイルも似合いそう」と言うと、「お前はまたそういうことを言う」とまんざらでもない表情で返します。みるみるうちに回復してゆく義父の姿。その様子を傍で見ることができた体験は、わたしの宝物です。
かたや、孫はハイハイするため、するため、自然発生的にうつ伏せから手で状態を起こしてお尻をフリフリ。愛おしいハイハイの練習。これを傍でみることができることもわたしの宝物です。回復と成長に囲まれた幸福な日々を過ごしています。
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今夜は、義父の部屋にお友だちになった患者さんを招き、わたしのドリップコーヒーでおもてなししました。
転移してから、わたしは義父の部屋に電動ミル、ドリッパー、サーバーなどを持ち込み、ハンドドリップでコーヒーを淹れることが習慣となりました。挽き立ての豆で、豊かな香りを楽しみながら、コーヒーを楽しむ。ささやかな歓びの瞬間を共に過ごすことで、義父のこころも癒されるのではないかとはじめました。コーヒーを楽しんだ後、音楽を聴きながらマッサージをするのが日課です。
今夜は、義父のリハビリ友だちと一緒に、コーヒーを楽しみました。対話パーティのはじまりです。病院での生活や回復の道のりについて、いろいろとお話を聴きました。半身不随からの復活。あきらめた時もあったけど、こころを入れ替え、なんとか日々小さな努力を積み重ねて自分で歩けるようになったと言います。人間の可能性に感動します。
今まであたりまえのようにできていたことが、できなくなること。誰かのお世話にならなければ生活できないこと。さまざまな苦悩に苛まれながらも、前を向いて「できない」を「できる」にしてゆく努力。続けていれば、本当にできるようになっていくのです。
来年の春まで続くであろう義父の入院生活。手術をした日から、目の前に大小さまざまな壁が立ちはだかり、それらと向き合いながら義父は多くのことを学んでいるように思います。そして、わたしもまたこの暮らしに混ざることで、何か大切なものを学ぼうとしています。これからの人生の中で、かけがえのないであろう何かを。それを見つけ、成長してゆくことが日々楽しみです。
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。