吉田塾日記#5【藤井フミヤさん&Ed TSUWAKIさん】
クリエイティブサロン吉田塾
山梨県富士吉田市、富士山のお膝元でひらかれるクリエイティブサロン吉田塾。毎回、さまざまな業界の第一線で活躍するクリエイターをゲストに迎え、“ここでしか聴けない話”を語ってもらう。れもんらいふ代表、アートディレクターの千原徹也さんが主宰する空間です。第五回のゲストは歌手の藤井フミヤさんとイラストレーターのEd TSUWAKIさん。
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ことばを“そっと”、だけど、しっかり置く。そして、じっと耳を傾ける。三人の空間は、そのような落ち着いたトーンの心地良さがある。沈黙さえも芳醇で。三人の声が重なり合い、ゆったりと響く。
共通する美意識が心地良さを生み、差異が互いの発想を飛躍させる。声と思考の調和。ユーモアと本音が、対話の中にインパクトを散りばめる。
アートとカルチャー、ファッションと音楽、筆とマッキントッシュ、デジタルとフィジカル、ポップスから抜け落ちていったエロティシズム。広告、音楽、アートから語られる三人のことば。
時代をつくってきた人たちの“移ろい”の話はおもしろい。
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ときどき、遊ぶ“あいだがら”
フミヤさんとEdさんが出会ったのは2000年頃。
広い空間のギャラリー、会期は2ヵ月間。「長いから、途中でイベントやってよ」と言ったフミヤさんのことばを受け、Edさんはファッションショーを開催した。Tシャツを100型ほど制作すると、当時の人気モデルたちが参加をしてくれた。
ショーでつくったサンプルをモデルたちに着せて、第一回のコレクションをひらく。そして、代官山に店を構えた。「あのブランドはフミヤくんのムチャブリからはじまったので、感謝してます」とEdさんは話した。
その頃、京都に住んでいた千原さんはnakEd bunchの一ファンだったという。
「目が高いね、彼女は(笑)」とEdさん。
会場は驚きと笑い声に包まれる。Edさんのブランドが生まれたのはフミヤさんがきっかけ。千原さんが奥さまと出会ったのはEdさんのブランドがきっかけ。世界はやさしくつながっている。
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消えない“藤井フミヤ”と、メディアの移ろい
「フミヤさん、TikTokでバズっているでしょう?」という千原さんのことばから話ははじまりました。80、90年代を知らない今の若い世代が、当時の“藤井フミヤ”にこころ躍らせているのだと言います。
VHS(家庭用ビデオ)の普及によって、テレビ番組がデータとして録画されるようになった。その映像が今、YouTubeやTikTokで出回り、「かっこいい」「おしゃれ」などのコメントがにぎわう。ファッションも、ツーブロックのヘアスタイルも。チェッカーズは、今見ても古さを感じない。
「オレはもうYouTubeからは消えない。消せないんだよね」とフミヤさんは話しました。
メディアはテレビ一強の時代。誰もがテレビを見て、同じコンテンツを消費していた。90年代に差しかかり、コンテンツは細分化しはじめる。「90年代と言えば」が総括して表現できなくなってゆく。インターネットの登場が、流れに拍車をかけます。
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筆とマッキントッシュ
グラフィックデザインは、それまで職人芸でした。版下を手仕事で切り貼りして、タイポグラフィを組み上げる。コンピュータを手に入れたEdさんは試行錯誤しながらIllustratorとPhotoshopをツールとして作品づくりをはじめる。フルカラーのデータを完成させても、まだ大手印刷会社にもデータを扱うインフラが整っていなかった時代。紙に出力してアナログな状態に戻して入稿していた。それ以降、アートディレクションの仕事が一気に増えたと言います。
アナログ盤が淘汰され、すべてのソフトがCDへ、そして配信へと変遷してゆく。メディアが移ろうにつれて、アートワークも移ろう。その中で見えなくなってゆくつくり手の顔。Edさんはその状況に警鐘を鳴らす。
「コロナ禍以降、広告に使われる制作予算が減った」と千原さんは言いました。どの企業もブランドも、広告宣伝費も予算も減らしている。TVCMや駅貼りポスターではなく、webのバナーが広告のメインになった。それを象徴するように、広告のトップオブトップだった電通がサイバーエージェントに売り上げを抜かれた。仕事量自体は変わっていないが、お金だけがゆるやかに減っている。
商品を売るためには、デザインが命だ。しかし、良いデザインだからといって、モノが売れるわけではない。カッコイイ歌だからといって、曲が売れるわけではないように。資本主義の仕組みの中にいると、大衆性とテクノロジーの進化との兼ね合いは決して無視できない。
時代を読み、現在を観察して、模索する。レコードからCDへ、そして配信はサブスクに。「でも、CDだけしか選択肢がなかったときよりも、若い人に聴いてもらえるきっかけは増えた」とフミヤさんは話す。
三人の“時代の移ろい”の話は、実に興味深い。
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臍から下がない、今のポップス
世の中に生み出されるモノは、いつだって時代を現わしている。それはテクノロジーだけでなく、その時代に生きる人のこころ、“時代の空気”のようなもの。優れた表現者は、時代と融合させる。より優れた表現者は、その人の個人的な真実を、メタファーとして静かに潜ませる。
さぁ、ここにクライアントワークとアートの違いが浮き上がってくる。
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アートと批評
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作品の先にあるもの
千原さんがとあるワークショップでつくったロゴデザイン。スマイルマークの笑顔の口が、「RUSSIAUKRAINE」の文字でできている。
片方の目は空白。目標を達成した時にダルマの目を描くように、ロシアとウクライナの人々が平和になりもう一方の目を描く日が来たとき、本当の笑顔になれるのではないだろうか。2つの国が1つになって、笑顔を取り戻せるよう。そのような意味が込められている。 ロシアとウクライナの上空から、爆弾を降らせるのではなく、このスマイルマークシールを降らせる。翌朝、それがインターネットのニュースとして広がったとしたら、本当に戦争を終わらせることができるかもしれない。
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芳醇な時間
それは、講義がはじまって間もなくのこと。会場に入ってきて、それぞれの席に着く三人。はじまりのはじまりに交わされた何気ない会話が、この日を特別な夜にした。
会場に運ばれてきたギター。講義の途中で、フミヤさんが即興で『TRUE LOVE』を演奏してくれました。その空間は、ギターの音色とフミヤさんの声で満たされてゆき、うっとりするような時間の密度が高まった。
余韻残したまま、自然とまた彼らは鼎談に戻る。
はじまりから、おわりまで、色っぽい時間がつづきました。
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最後に、わたしが好きだったフミヤさんとEdさんのやりとりを紹介して、この記事を終えます。
自然体の三人だからこそ、あの空間の味わいになっていたのだと気付いたのでした。
さて、次回の講義は十一月五日。ゲスト講師はさらば青春の光の森田哲矢さんです。
チケットの購入はこちらから(※会場用は完売により、オンラインチケットのみ)。
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次々回は、十二月三日。ゲスト講師は、映画監督/CMディレクター/脚本家の犬童一心さんです。
チケットの購入はこちらからどうぞ。会場用とオンライン用、二種類から選べます。
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そして、わたしも制作にかかわっている本塾の主宰、千原徹也さんの著書『これはデザインではない』もチェックよろしくお願いします。