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ゆるせない

対話について考えたり、対話的な方法で解決してゆくと、断定的な表現が減り、複雑な状況を抱えたり、“待つ”機会が増えてくる。

一人ひとり価値観は異なるし、それぞれの正義は違う。善悪の境界線を引かず、「どちらとも言えない」と保留することを覚える。世の中、“どちらとも言えない”ことばかりである。世界を観察して、自分の中に起きる感情の起伏を観察する。そうやって、自分の中で「対話」を育ててきた。

それは、自分を消してゆく行為なのかというとそうではない。むしろ、輪郭を明確にさせてゆくはたらきがあった。異なる価値観を受け入れることは、自分の価値観を否定することにはならない。相手の考えをゆるせないことを受け入れることもまた、自分の声に耳を傾ける上で重要なのだ。

ありがたいことに、今のところ“ゆるせない”ことはない。だけれど、これから先、“ゆるせない”が現れないとは言い切れない。“ゆるせない”という結論を出した自分をどう受け止めるか。

人間の未熟さを受け入れてはじめて人は、本当の意味でやさしくなれる。



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嶋津 / Dialogue designer
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。