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大胆な詩人であれ
夜が明ける前、ふと目覚めてトランプ大統領の就任式のライブを見ていた。
字幕がないので何を言っているのかわからないが、日本人の政治家に比べてスピーチがうまいのはよくわかる。表情や振る舞い、息と間。アメリカの政治家は俳優みたいだ。Xで、トランプが決断した大統領令の内容が上がってくるのをチェックしながら眺めていた。それが良いのか悪いのかは正直なところわからないが、一つひとつが振り切っていて、明確な意志の強さを感じる。彼を憎む人も多いだろうが、それ以上に現実をいい方向に変えてくれると信じている人も多いだろう。“まつりごと”と言うだけあって、エンターテインメントの香りが強い。
「アメリカの大統領就任式くらい、日本の総理大臣の就任式も盛り上がると景気いいのに」とつぶやくと「(日本とは)選ばれ方が違うからね」とコメントが届いた。確かに、大統領は国民投票であり、首相は指名選挙。自分で選ぶことができると熱意も責任も違うだろう。ただ、日本の総理大臣を決める選挙に国民一人ひとりが一票持っていたとしても、アメリカのそれと同じくらい盛り上がるとは思えない。良くも悪くも(多くは悪い意味だが)冷めていて、政治に期待をしていない不思議なムードがこの国を覆っている。
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SIROCOさんからインタビュー動画を観た感想が妻に届いた。喜んでくれているようだ。動画を観てくれた人からコメントが届くのはいつだってうれしいものだが、インタビュイー本人が喜んでくれていることこそが何よりのわたしの喜びだ。対話には互いの信頼を構築する力があるが、それを手とこころを込めて文章や動画にしたものを届けると、さらに互いのこころの距離が近づく。わたしはそのことをよく知っている。手とこころを込めたものは、相手に伝わるものだ。そして、それはことばを尽くしたとて嘘をつくことができない。手とこころは相手を欺くことができない。わたしたちはそのことをよく知っている。
とある映画監督と打ち合わせ。新しい作品について、それから新しい本をつくる話。キーワードは「センス」と「物語」。わたしたちは作品のコンセプトを話しているようで、それが近い未来における個人的な主題のようにも聴こえてくる。ここで交わされることばは、人生という土壌に蒔かれた種であり、栄養である。そして、それらは日々の暮らしの中で通奏低音として思考したものたちとゆるやかにリンクする。ここでのひらめきやときめきはすべて宿命なのだと気付かされるのである。
わたしには定期的にインタビューをする人が何人かいる。建築家、アートディレクター、プロダクトデザイナー、ミュージシャン……それぞれ業界は異なるが全員クリエイター。しばしば彼らの思考の奥できらめくものが、同じかがやきを放つ。表現は違うが、本質的な視点や発想が重なる。砂金を採集するように、わたしは“きらめき”を拾い上げてゆく。「ないもの」をつくる人間はおもしろい。
その全員の共通点は、ことばの扱い方が丁寧であること。そのことばが指し示すもの、定義、選び方、伝え方、伝わり方。ことばへの感受性が豊かで、きわめて慎重でありながら、同時に果てしなく自由だ。
きめ細やかな感性で、細心の注意を払いながら、丹念かつ自由にことばを扱える人でありたい。大胆な詩人であれ。と、わたしはわたしにエールを贈る。
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