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こよなくピュアな美意識を
昨日、シンギングボウルのリラクゼーションセラピーを受けたからだろうか。
ぐっすりと眠れて、目が覚めた後もまだ全身に気だるい感じが残った。時間がなかったので、シンギングボウルの働きを体感する程度だったが、それでも身体は反応していた。実際のセラピーはゆったりと時間をかけて全身をほぐし、チャクラを開いてゆくのだろう。一度、体験してみたい。今日は身体を休める一日にすることに決めた。
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昨日の日記を書きながら、そこでのやりとりを思い出す。ヒーラーのトシさんが、チベット仏教の得度式を受けて正式な僧侶になった話が印象的だった。トシさんのシンギングボウルの師匠がダライ・ラマと友人で、その関係もあって彼らの集いに参加したという。しばらく談話していると、トシさんは目に布を巻かれ、何やら儀式めいたものがはじまった。その時、それが得度であることにはじめて気づいた。
チベット仏教は密教でもあるので、戒律には厳しい。トシさんは酒屋のご子息で、子どもの頃から酒と酵母菌のある生活が日常だった。そのこともあり、「酒を飲めなくなるから、わたしは僧侶にはなれない」と言ったのだが、その時に、ダライ・ラマからとあることばをもらったという。
「時代もゆるやかに変化してきている。確かに戒律はあるが、それも時代に合わせて調整していけばいい。あなたにそのような背景があるのならば、それは自然なことであり、戒律を破ることにはならない」
そのことばを聴いて、トシさんは胸を撫で下ろした。そして、ダライ・ラマは続けた。
「最初から教えを信じなくてもいい。疑って、疑って、疑い切った先で“信じられる”と実感した時に、はじめて信じればいい」
わたしは、そのことばにいたく感心した。「信じなさい」と盲信を促すよりも、ずっと健全で柔軟な在り方だ。宗教だけではなく、あらゆることに言い得るし、そういった懐の深さを見習いたい。
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対話は音楽のセッションである。
普段からそう言っているが、サウンドとバイブレーション(音色と振動)について語り合い、実際に体感したことでより豊かなイメージが膨らんだ。わたしたちは、常にサウンドとバイブレーションを奏でている。それは、人だけでなく、生き物も、モノであっても。それが心地よく調和した状態こそが“ときめき”なのだと思う。
自分の美意識に忠実でありたいと思う一方で、他人からどう思われたいかという欲望はほとんど何も残っていない。自分の美意識と共鳴する人と出会えればそれでいい。自分はサウンドとバイブレーションを放っていればいい。植物のように自然なものとして。美意識に基づいたサウンドとバイブレーションを放っていれば、会いたい人には自然と会える。
意識すべきことは、高い濃度で発信し続けること。ノイズは入れずに、こよなくピュアな己の美意識を。
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昨年末にコーヒーメーカーを買って以来、妻が「コーヒーを淹れようか」と声をかけてくれる。ハンドドリップが習慣のわたしが「ぼくが淹れようか」と聞くと「そうじゃなくて、あなたに淹れてあげたいの」と言う。そんな気持ちでいただくコーヒーはとてもおいしい。風味には、気持ちが影響する。
“気持ち”を味わう喜びがある。年々、気持ちの風味を味わう感覚が広がっている気がする。
この日記も、日々起こるささやかな奇跡や幸福を拾い上げる感性をひらく訓練になっているのだ。
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![嶋津 / Dialogue designer](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/79360429/profile_8d593d6a08f92a4b857cb3ba2536bc3a.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)