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ハニカム構造と蝉の一生

蜂の巣って美しいよね。

クリアな黄金色の蜜で満たされた部屋が並ぶ六面体。「ハニカム」という言葉もキュートで、思わず口角が上がる。僕たちの関係性も、蜜月でピュアな光を内包していて。月の光に濡れた蜂蜜は美しく、愛する君を呼ぶにはそれ以上に相応しい言葉はないのかもしれないね。星屑を閉じ込めたドンペリニヨン。栓を抜くと上空へ次々と星が流れていく。

例えば、蝉の一生について考える。

それは昨夜、庭のタイサンボクに蝉が卵を産んでいたからなのだけど。木肌を削り、そのポケットに乳白色の卵を添えていく。それはそれは淑やかで、月の灯りの白さと相まって、神秘的な光景だった。

彼らは7日の命だと誰かが言った。調べてみると、1ヵ月生きる者もいるのだという。7日間の方がドラマティックだし、儚く美しい響きがある。でも、それは成虫の話。彼らは不完全変態なんだ。そう、不完全に変態ということ。鮮やかで不謹慎なミスリードを僕は「ユーモア」と呼ぶ。

「変態」とはメタモルフォーゼのこと。卵から孵化して、幼虫から蛹になり、羽化して成虫する一連の流れ。これらの形式的な段階を経てオトナになることを完全変態と呼ぶ。蜂や蝶は完全に変態だ。

蝉は、「蛹」を飛ばして成虫になる。それを「不完全」と形容するのだけど、飛び級という意味ではこちらの方が優秀な気もする。結局は人間が遊戯的に名前を与えたに過ぎないのだけどね。

ともかくとして、彼らはおよそ一年、木肌のポケットで過ごす(中には冬を迎える前に孵化する者もいる)。梅雨の到来と共に孵化して、地面に落ちる。彼らは土の中に潜り、そこで5~7年過ごす。暗闇での生活を送るため、目は退化しているが、脱皮を繰り返すうちに複眼が宿る。複眼によって出会う眼福の数々。

日没後、彼らは土から生還し、木肌をよじ登って、羽化を迎える。月の灯りに濡れて、エメラルドグリーンの光を放つ羽は「大空への希望」が宿る。陽が昇ると燦然と輝く羽を開き、空へと還る。それはまるでドンペリニヨンの中に閉じ込めた星屑のように。気泡が祝祭的に空へ還ることと似ている。

考えてみると、蝉の一生は7日でも何でもない。この世に産み落とされてから指折り数えてみると、10年近く生きている。そのほとんどを土の中で過ごすわけだ。

例えば、昨夜見た産卵。彼らがオトナになった姿と会えるのはいつになるだろう。その時までnoteはあるのだろうか。あるいは、「僕」はこの世に存在しているのだろうか。人生の儚さ、あやうさ、尊さを月の灯りを浴びながら感じ入る余韻の長い時間を過ごした。

正六面体の完全美。まどろみの中で記憶の扉を開く。その夢と現の狭間にミューズは降り立つ。「蜜月」とはよく言ったもので、神秘的な瞬間というのは、月の灯りがよく似合う。女王蜂に捧ぐ、花の蜜を集めて。あるいは、産み落とされる卵の部屋として。

ファム・ファタールにインスピレーションを授かり、黄昏に飛び立つフクロウへの敬愛を込めて。胎の中にハニカムを孕ませる構造を描く。



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