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近況報告@2023/10/24


こんにちは。悪性リンパ腫で抗がん剤治療中の永井です。
今日は、近況報告として、治療の経過と最近何をして過ごしているのか、を簡単にお話しさせてください。


お詫び

最近、会ってくれる友達から、「note」の投稿が止まったから心配だった、と言われることが多くなりました。僕の怠惰のせいで、余計な心配をお掛けしてしまって、本当に申し訳ないと思います。

近況としては、通院で抗がん剤治療を継続しています。抗がん剤は全部で12回打つ予定なのですが、その7回目が終わったとことです。つまり、ひとまず半分のマイルストーンを超えることが出来ました。

治療効果は、まだ確定診断以来PETーCT検査をしていないので、確定的なことは言えないですが、血液検査の結果を見る限り順調なようです。
何より、2021年2月以来2年半以上苦しめられてきた慢性再発性多発性骨髄炎(CRMO)の症状である臀部の激痛が、なぜか抗がん剤治療によって収まりつつあるのが本当に嬉しいことです。

治療の副作用は?

抗がん剤の副作用は、やはりあります。投与後はしばらく吐き気が続きますし、味覚障害(普通の水でも変な甘さを感じる)や指先のしびれなど、代表的なものはだいたい出ています。

また、抗がん剤の副作用で好中球という身体の免疫システムのために不可欠な細胞が減ってしまうのですが、それを防ぐためにジーラスタという注射を打ってもらっており、このジーラスタの副作用が、抗がん剤そのものの副作用と同じくらい、重いです。全身のだるさ、熱感、骨や関節の痛みなどです。

とはいえ現代では、副作用対策の薬も大変充実しているのがありがたいことで、例えば吐き気があるとは申したものの、実際に吐いたことはなく、これはアプレピタントなどの優秀な吐き気止め薬のおかげです。

ついでに言うと、髪の毛も全部抜けました。ただこれは結構ラッキーでした。のちのち副作用で髪が抜けることを想定して、抗がん剤治療が始まる前に、近所の床屋さんで5厘刈りにしてもらったのですが、これが覚悟を決める良いきっかけになったからです。

もともと僕は大の坊主嫌いで、高校時代の野球部や、高3時の運動会後の伝統で、周りが全員坊主にしていた時でさえ拒否していました。単なるかっこつけというのもありますし、なんとなく軍国主義的な感じがして嫌だったのです。

そんな僕が髪を剃ることは、「表面的なこだわりやナルシズム、余計な執着を捨て去って、現実と向き合う覚悟を決める」儀式的な意味合いを持ち、気持ちがよかったです。

話が脱線しましたが、抗がん剤治療による副作用は、概して、「たしかにつらいけど、最新医療のおかげで逃げ出したくなるほどつらくはない」といった所感です。

瞬間の充実を求めて

では、そんな治療と並行しながら、僕が最近どういう考え方で日々と向き合っているかをお話しします。

がんになって気づいた当たり前のことのひとつに、「人は必ず死ぬし、いつ死んでもおかしくない」ということがあります。当たり前すぎて、こうしてわざわざ文字に起こすのも恥ずかしくなるくらいですが。。がんになる前の自分はそんな現実すら直視できないくらい未熟でした。

自分は今この瞬間を最期に死ぬ可能性がある。その前提で考えると、時間の過ごし方に対する考え方が以前と比べて大きく変わったな、と思います。

(こう書くとまた余計なご心配をおかけする可能性があるので補足ですが、僕の悪性リンパ腫の治療自体は順調で、無事寛解する可能性の方がかなり高いと思います。従って、僕はがんで死ぬ可能性を高く見積もって悲観的になっているのではなく、一般論として「人間は生まれた以上、必ず何らかの原因で死ぬのだ」という当たり前のことに気づいた、というだけのことです。)

結局、今この瞬間に死んでもおかしくないのなら、今この瞬間を充実させる以外にやることはないのです。どの瞬間を切り取っても、「その瞬間に死んでも悔いはない」と言い切れるくらい充実した瞬間を過ごすことがすべてなのだと思いました。

僕は昔、Amazon創業者のジェフ・ベゾスの提唱する「後悔最小化フレームワーク」の考え方が好きでした。ベゾスは、人生のあらゆる決断において、「80歳になった時の後悔が最小になるように行動する」のだそうです。
最初に聞いたとき、素晴らしく納得しましたし、実際その後の人生における節目において、このベゾスの考え方を僕は活用してきました。

ですが、今では、僕の哲学は明確にベゾスのそれとは違います。人間、80歳まで生きる保証はないのです。今死んでもおかしくない。それに、80歳時点で後悔が最小だったとしても、もしそれまでの79年が充実していなければ、どうしてそれが良い人生だったと言えるでしょうか。

ですから、敢えてベゾス風に言うなら、今の僕の考え方は「瞬間後悔最小化フレームワーク」です。その瞬間に死んでも後悔しないと言える瞬間の積み重ねが、結果的に人生と呼ばれる何かになるだけなんだと思います。

結局、僕は最近何をしているのか

前置きが長くなり恐縮ですが、やっと、ただの近況報告をします。
抗がん剤を打ってしばらくはやはり副作用が重いので、基本的には家で横になって過ごすことになります。
抗がん剤やジーラスタの副作用が抜けてきて、次の抗がん剤を打つまでの数日間は、比較的元気になるので、近場に食事に行ったりもしています。

家にいる時間は、最近はもっぱら数学と物理の勉強をしています。自分は文系だったので、高校の理系の範囲から始めて、やっと大学の範囲をかじれるようになってきたところです。

この話をすると、家族に「26歳にもなって勉強なんて、これだから東大生は」と苦笑されてしまうのですが、個人的には、学生時代にやってきた「勉強」と今取り組んでいる「勉強」は全く別物です。

僕にとっては、学生時代の勉強は、やはり受験のため、将来のために行う、手段としての勉強でした。嫌いな時間ではなかったですが、では受験勉強中の自分に、「今やっている勉強は、この瞬間に死んでも後悔しないほど楽しいですか?」と聞いたら、「そんなわけないでしょ!」と即答したのは間違いないです(笑)。

一方、今やっている勉強は純粋に今この瞬間を楽しむための勉強です。何も将来の役に立たないと思います。いわば、無意味な勉強です。でも、無意味でいいのです。そもそも、人生で起こることなんて、すべて無意味と言えば無意味です。どうせ死にますから。でも、無意味だからこそ、今この瞬間が充実するのです。

目的に縛られない勉強がこんなにも楽しいなんて!
知的好奇心を満たすことが、僕にとって究極の充実のひとつだと気づけたことは、がんになった経験から得た収穫の一部です。

人それぞれの瞬間の輝かせ方

みなさんにとって、瞬間の充実を感じるのはどんな時ですか。
僕はそれがとても気になります。誰かが「それをしている瞬間なら死んでも後悔しない」と思えるなら、それはきっと「ほんもの」なんだろうなと思えるからです。例えば音楽とか芸術とかは、きっとそうなんでしょうね。
ぜひ機会があったら、あなたの瞬間の充実のさせ方を、教えてください。

仕事でも瞬間の充実を感じられたら、ベスト!

ここまで瞬間の充実についてダラダラと述べてきたものの、とは言え人生にはやりたくなくてもやらなければいけないことはたくさんありますよねえ。

だけど、仕事でも家事でも子育てでも介護でも(僕のように闘病でも)なんでも、自分の取り組み方次第で充実させることは結構できるのではないかとう気がします。色々工夫してみたり、変化をつけてみたり。いうほど簡単ではないのでしょうが、少なくとも目指したい境地ではあるな、とは思います。
どんなにつらいことも大変なことも、充実感を感じながら取り組める人って素敵ですよね。

そして、自分がどう工夫してもダメなときは、その環境を変える手段に出ていい時だと思います。結局人は死にますから、細かいことに囚われて動けないのはもったいないですね。

さいごに

今日も最後まで読んで下さりどうもありがとうございました。
また、更新が遅くなったせいで余計な心配をおかけして本当に申し訳ないです。僕はなんとか元気にやっています。
みなさまの充実した1日を祈って。
(おわり)


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