嫌われ松子の一生
2006年の日本映画です。
主人公の松子という、ひとりの女の人生を描いています。松子が河原で亡くなっているのが発見され、なぜ死にいたったのかが語られていきます。
映画冒頭、歌手の木村カエラが歌っている顔が街の大型テレビジョンに映し出され、夢、夢、夢と歌っています。
このシーンは彼女である理由があります。
彼女のビジュアルから、つくられたお人形さんを感じとります。
歌っているカットに「夢を掴むのはひと握りの人間」というナレーションがはいります。
夢を安く売り買いする空虚な世界観を演出するため、彼女のビジュアルが必要だったのですね。
映画には無駄なシーンはなく、すべて意味があります。
この作品の監督には明確なビジョンがあります。
衣装、小道具、部屋のセットも考えられていますよね。登場人物がどういった人間か、大事な情報を明確に教えてくれます。
音楽の使い方から、すべてが細かく計算されています。
監督は役者に不要な芝居をさせないように作っています。
ひとつの画面のなかに、監督の世界観が出来上がっており、あとは役者をそこにあてはめればいいように作り上げています。
自分のビジョンを映像化できる稀有な監督です。
有名な言葉ですが、チャップリンは「人生は近くでみれば悲劇、遠くでみれば喜劇」と言ってます。
人生はすべて自分で選択しているんですね。
この作品と出会えてあらためて思いました。
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