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8 1/2

映画「8 1/2」
1963年のイタリア・フランス映画です。

おかしな題名ですよね。この数字、監督のこれまでの監督本数なんですね。これまでの監督本数8本。共同作品が1本、半分なので1/2本。あわせて8 1/2なんです。

監督は、

イタリアが生んだ巨人フェデリコ・フェリーニですね。

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この映画、ストーリーらしきものはないんです。

驚きですよね。

ある映画監督がいるんですね。演じるは世界中の映画監督から愛されたイタリアの伊達男マルチェロ・マストロヤンニです。

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この監督、新作の撮影がひかえてるんですね。でもなかなか作品のテーマを見出せない。

そこに妻、愛人の問題も押し寄せてくる。

心の拠り所がない。不安がつのっていく。時間だけが過ぎていき、せまってくる。

表現者として作品を産みだせない苦悩と不安ですね。苦悩、苦悩、不安。不安、苦悩、不安が、この監督のなかをいったりきたりすんですね。

そして監督は理想の夢のなかへ、少年時代の思い出に逃避していく。現実とも夢ともつかない世界が描かれていきます。


冒頭、渋滞の一群に監督の車もあるんです。監督、隣りの車に目をやると、隣りのおじいさん、おばあさん、目線がみんな一緒で死人のように顔に生気がない。

すると監督の車内から煙がわきあがってくるんです。煙が充満する車内、もがく監督。もがく監督をまわりはじっと見つめてるんです。監督どうにか車の上に這いでるんです。

次の瞬間、監督の体は宙に舞っていく。

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次のカットでは、浜辺を馬で駆っていく男の画にかわります。その脇では男が空に向かって綱を引っ張ってるんです。

風船でも飛ばしてるのかなと思うと、綱の先には宙を舞う監督が結ばれてるんですね。

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冒頭からすごいでしょ。

この映画、文章にするの難しいね。だから映像にしたんだね。

小学生の頃、初めて見たとき目が点でした。今みると分かるんですね。

冒頭の映像から次次と、監督のイマジネーションが描かれていきます。


この映像にあわせて、サーカスの楽団を思わせる悲哀がにじむ音楽が重なってきます。一度聴くと耳から離れません。

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作曲はニーノ・ロータですね。

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フェリーニと長年歩み、フェリーニを支えてきた作曲家ですね。

フェリーニの映画にはニーノ・ロータは必要不可欠な存在ですね、ふたりの作品だね。


昔、ある日本の映画評論家が「もう8 1/2以上の作品はでないよ」と言った記事をみました。

そうかもしれませんね。映像の羅列がストーリーとなり、フェリーニの歌になってくるんですね。映画の概念をかえました。


「好きな映画作品は8 1/2」と答えるの、なにか後ずさりしてしまう。この作品は難解な映画の代表みたいになってるでしょ。「ホントにこの作品の意味わかってるのかよ、気取りやがって」なんて思われそう。作品自体がひとり歩きして、伝説のようになってますよね。

映画みて、その作品から空気なり何かを感じれたら、その作品は自分にとっていい作品なんだと思います。

この作品、監督フェリーニの頭の中、夢の中を観客は泳いでいくんです。頭で考えちゃダメですよ、映像の波に身をまかせる作品です。

難解な映画ではありませんよ。

目で、耳で楽しませてくれる、映画ですよ。


1993年にフェリーニ亡くなりました。その葬儀は国葬、国をあげての葬儀だったんですね。イタリア国中、世界から愛された監督ですね。

これだけ映画で愛を語り、映画で遊び、愛された監督いませんね。

世界にはいろいろな監督いますね。作品にその国の色、空気がでますよね。

ハリウッドとヨーロッパの映画、パッと見て画面から感じるものが違いますよね。

不思議ですね。

これからどんな色をもった監督が誕生するんでしょうか。


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