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湯を沸かすほどの熱い愛

映画「湯を沸かすほどの熱い愛」
2016年の日本映画です。

監督はこれが初めての長編映画なんですね。
1973年生まれの若い監督です。

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物語ですが、銭湯を経営しているある一家がいるんです。夫は突然姿をけして、飲み屋で知り合った女の家に転がり込んでるんですね。妻は仕方なく銭湯を休業し、娘とふたりで暮らしてるんです。

この妻を演じてるのが宮沢りえです。

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ある日、宮沢りえ演じるお母さん急な目まいで倒れちゃうんです。病院へ行くとガンだと告げられる。しかも余命2.3ヶ月だと告げられるんです。目の前が真っ暗になる。ひとり銭湯で空の湯船のなかで泣くのね。

ここからの展開がこの作品を一味違うものにしてます。病気の母を見守る家族の涙涙の話しかと思ったら大間違いですよ。

このお母さん強いですよ。宮沢りえ立ち上がるんです。ある決心をするの。

まず探偵を雇って失踪中の夫を見つけるんです。

夫、簡単に見つかる。

この夫を演じてるのがオダギリジョーです。

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簡単に見つかるいうのがこの夫のキャラクターをあらわしてますね。重くなりがちなこの作品にオダギリジョーがコメディの要素いれてます。

宮沢りえは自分がガンであることを夫に話すんですね。それを聞いて夫は家に戻り銭湯は再開されるんです。

次は娘の問題があるんですね。

娘は学校でイジメにあってるんですね。イジメいう言葉嫌いですね。これは犯罪だと思う。

この問題に先生はあてにならない。宮沢りえは娘に言うんですね。「逃げたらダメだ」と娘に言うんです。そして娘は体操着で学校に行くの。なぜかというと制服をクラスメイトに隠されてるんですね。

娘はどう立ち向かったか。

みんなが、先生もいる教室で、自ら体操着を脱ぎ下着姿になり、声をふりしぼるんです。

「私の制服を返してください」としぼりだすんです。

教室は静まりかえるんですね。

この娘を演じるのが杉咲 花です。

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このシーンでもそうですが素晴らしい女優さんです。
常に画面にしっかりと存在してますね。この作品をひっぱってますよ。

宮沢りえとのシーンでは、役者同士がお互いに呼応しあい高めあっています。


この映画、宮沢りえ演じるお母さんは終活しているんです。自分がいなくなったあと、まわりが困らないよう整理していってるんです。銭湯を再開させ、娘をひとり立ちさせようと奮闘してるんですね。

この作品はいたるところに伏線がはられてます。

毎年、宮沢りえ一家にカニが送られてくるんですね。娘は理由知らない。また、娘はなぜか手話ができる。この伏線がとても大事なものにのなってくるんです。

実は娘は宮沢りえの本当の子供じゃないの。

オダギリジョーが前の奥さんとの間にできた子だったんですね。そして、子供をおいて実母は出ていったんです。娘はそのこと知らない。宮沢りえも娘の本当のお母さんには会ったことはないんですね。そしてカニは本当のお母さんが送ってきてたんです。本当のお母さんいうのは耳が聞こえないんですね。宮沢りえが娘に手話を教えていたんです。いつか娘が本当のお母さんと会うときを考えて手話を教えていたんですね。


宮沢りえが娘に真実を告げるシーンがあります。ふたりの役者が共鳴しあっているいいシーンです。役者同士が信頼しあってますね。


他にもいくつもの伏線があります。じょじょにその伏線を回収していく映画でもあります。こんなに伏線がある作品も珍しい。ちょっと出来すぎな面もあるくらいですよ。

監督は自分で脚本書いてるんですね。登場人物が人間らしい脚本です。

宮沢りえが娘の本当のお母さんに初めて会うシーン。宮沢りえ何するかというと、娘の実母の頬に平手をくらわすの。

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そして、宮沢りえ演じるお母さんも捨て子だったんですね。オダギリジョーを探す依頼をした探偵に、もうひとつある依頼をしていた。なにかというと、自分の母親を探してほしいというお願いだったんですね。


ちなみにこの探偵役を演じてるのが笑福亭鶴瓶さんの息子さんなんですね。

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そして探偵は見つけます。探偵は宮沢りえに報告します。「あなたのお母さんは『わたしにそんな娘はいません』と言っています」と、報告するんです。

今は新しい家庭をきづいている実の母の家の前に宮沢りえは向かいます。外から家のなかが見える。そこには孫を抱きあやしている自分を捨てた母親だった女がいるんです。

宮沢りえどうするか。

家の窓に石を投げつけて逃げるの。

平手うちのシーンといい、人間味のある脚本です。


やがて宮沢りえ入院します。病室にひとりになり死への恐怖がおそってくるんだね。

そんなとき窓をあけると、オダギリジョー演じる夫、娘たちが組体操のピラミッドをつくって宮沢りえに呼びかけるの。「俺たちがついてる」と呼びかけるんです。なんでピラミッドかいうと、宮沢りえが生きてるあいだに行ってみたい国がエジプトだったんですね。

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このシーン、1996年のイギリス映画「ブラス」を思い出しました。イギリスの炭鉱町で生きるブラスバンドの話しでした。入院した指揮者のために、バンド仲間が病院の外から演奏して指揮者の男を勇気づけるシーンのオマージュかもしれません。


この映画「湯を沸かすほどの熱い愛」は脚本がよく考えられてますが、脇を固める役者もいいですね。

冒頭、オダギリジョージは失踪するんですが、転がり込んだ女には連れ子の女の子がいるんですね。この女の子もいいですね。カメラの前で自分の置かれている状況を信じてるんですね。役者として必要な才能ですね。役者が信じてるから観客にも伝わりますね。


そして病室で最期のときをむかえる宮沢りえの顔は息を呑みます。


泣いたりわめいたり大声だしてる役者は嘘ついてるね。観客はバカじゃない。それはやっぱり観客にも伝わりますよ。


宮沢りえふんするお母さんは、オダギリジョーの連れ子の女の子を自分の家族としてむかえいれるんですね。

できあがったこの一家。みんな血が繋がってない。みんな母親に捨てられてるの。

そんな人びとが集まって、支え合って、家族以上の家族になっていくんですね。

監督の言いたかったテーマがこれなんだと思います。家族とは?繋がりとは?

ただ騒いでるだけの映画じゃない。

監督の想いがあります。

この映画は役者たちがこの脚本に惚れ込んでる作品ですよ。 

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